第2回 てびきを知る

人生には実にさまざまな苦難や困難が伴います。
時には自らの限界を感じ、やるせない思いをすることもあるでしょう。
しかし、それが信仰の入り口となり、人生の転機となることも事実です。

真実の親を教え、陽気ぐらしの思召を伝えて、人間思案の心得違いを改めさせようと、身上や事情の上に、しるしを見せられる。

『天理教教典』 58ページ

と教えられます。

ところで、もしこうした親神様(おやがみさま)の思惑を知らなければ、それは、ただ「つらいこと、悲しいこと」にとどまり、そこに意味を見いだすという積極的な生き方は難しくなります。
そして、

ただ眼前の苦しみや悩みに心を奪われて、ややもすれば、あさはかな人間思案から、人を怨み、天を呪い、世をはかなみ、或は理想を彼岸に求めたりする。

同 59ページ

という生き方を余儀なくされるかもしれません。

もくじ

信仰の元一日

信仰は「意志の弱い人がするもの」と言う人がいますが、それは全く逆です。
信仰は、苦難や困難の中に自らが生きる意味を見いだすという、極めて積極的な生き方を選ぶことです。
皆さんの自覚的な信仰の入り口となった出来事は、さまざまにあることでしょう。
思い起こしてください。
それは、親神様の「てびき」であり、信仰の元一日(もといちにち)となるものです。

昔も今も多くの人が、「てびき」によって導かれ、救いを求めて信仰の道に付かれます。
教祖(おやさま)は、ご在世の頃から多くの人をおたすけになりましたが、たすけられた人は「てびき」の意味を知り、今度は生まれかわった人として、教祖の思いのままに人だすけの人生をお通りになりました。

教祖ご在世当時の信仰者の様子を知る貴重な史料として「御神前名記帳(ごしんぜんめいきちょう)」という書き物があります。
これは、慶応3年(1867年)4月から約一カ月間の参拝者の記録帳で、参拝の目的、住所、姓名、年齢などが書かれています。
この間に、延べ2175名が参拝しておられますが、男女とも20代が最も多いのが特徴です。
思うに、働き盛りの人たちであったのでしょう。
どうでも教祖にたすけてもらわなければ、日々の暮らしが成り立たなかったのではないかと想像されます。

参拝の目的は、病気などの祈願では、さん八(妊娠8カ月)や半さん(流産)など、お産関係が200名以上と最も多く、目、腹、頭、足、皮膚、咽喉、月水滞りなどの婦人病が続きます。
「御神前名記帳」から、おたすけは具体的な事実であり、そこからこの教えが伝えられた真実が分かります。

生壁の兵四郎

妻の出産をたすけられたことがきっかけで入信し、その結果、人生の「苦難の意味」をつかんだ先人の一人に、加見兵四郎(かみひょうしろう)という先生がいます。
先生は「生壁(なまかべ)の兵四郎」と呼ばれました。
それは、たすけた信者から、「ここに住んでほしい」と家を建てられますが、その家の壁の乾く暇もなく、また次々におたすけに出向かれ、そこでもまた家を建ててもらうということが続いたからです。
いかにおたすけに専心しておられたかが分かります。

そんな先生は、家庭的には不遇の人でした。
放浪癖のある父に辛抱し切れず、母親は離縁を迫ります。
先生を連れて家を出た父も、先生が8歳の時に行方をくらましてしまいます。
相次いで両親から見放された先生は、悲しみのあまり自ら命を絶とうとしたこともありました。
その後もつらく、苦しい人生が続きます。
子どもにとって、親に捨てられるほど悲しいことはありません。
現代の社会風潮と重ね合わせて考えると、なおさら心に強く迫るお話です。

しかし、信仰に付かれてからはおたすけに生きる喜びを見いだし、「生壁の兵四郎」と称されるまでになりました。
ただ、そんな先生にも一つだけ合点(がてん)がいかないことがありました。
それは「神様は、人間に陽気ぐらしをさせてやろうとお思いになって人間を造り、人間を育ててくださるのだ」というお話でした。

苦難の意味を知る

ある日のこと。
先生は思い余って、

「教祖。教祖は、神様が人間をお造り下されたのは、よふきゆさんが見たい故からと仰せ下さいますが、そんなら何故この兵四郎をかくまで艱難苦労(かんなんくろう)をさすのでございましょう。兵四郎は、幼少の頃より父母に捨てられ、奉公に出され、親戚は寄りつかず……」

とご自身の半生を切々と教祖にお話しになりました。

教祖は黙ってお聞きになり、顔をジッとご覧になっていました。

そして静かに仰せになり、

兵四郎さん。あんた、苦労艱難したればこそ、神さんが分かったのやで。神さんがな、世界だすけの人衆にしてやろうと思って、苦労艱難さしたんやで。(中略)これから、どれだけの働きさすやも知れん。それが楽しみやで。

と、優しくその苦労をねぎらわれました。

私たちが生きる上で出会う苦難や困難には、すべて「人をたすけるため」という親神様の思惑があり、その期待が掛けられているということです。

ところで、このお話は、高野友治(たかのともじ)著作集第4巻『草の中の聖(ひじり)たち』に「風のこころ ―加見兵四郎伝―」として収められています。
ぜひ読んでみてください。

つづく

※『Happist』2013年5月号より再掲載

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