お道の素晴らしさ

天理教教会本部准員/天理教飾東大教会長 紺谷 清春

第1回「親神様」


神様は本当に存在するの?

◀︎エピソード1▶︎

小学5年生だったある晩、眠っていた私は突然差し迫った様子の母に起こされた。お父さんが大変だからというので父の枕元へ行くと、父は夕食に食べたフグで中毒症状を起こし、青ざめた表情で「親神さんは間違いのない神さんやから、この神さんをお前も信じて通ってほしい。お前は兄ちゃんだから、お母さんを手助けして弟や妹たちの面倒を見てくれるように…」。

私は父の話を真剣に聞きながら、握っていた父の手が次第に冷たくなっていくのを感じていました。母は涙を流しながら、前日、祖父から頂戴していた私の自転車の費用を神様にお供えさせてもらいましょうねと促し、私は頷きました。

ほどなく救急車が到着、数カ月入院の後、父は約1年余りの療養生活を経て元の元気な姿を取り戻しました。父の回復をお願いし、そのころからでしょうか、神様を少しずつ意識するようになったと思います。

◀︎エピソード2▶︎

大学生活にも慣れて青春を謳歌していたある日、私は40度を超える急な発熱で身動きもできずにベッドでグッタリとしていました。そこへ突如、父がやって来ました。

「風邪か? 熱はあるのか? しんどいか? 病の元は心からと聞かしてもろてるやろ。人様と擦れ合ったら熱がでるのやで…。ほな、神さんにお願いさせてもらお」と矢継ぎ早の父の言葉に続いて“パンパン”と2回の柏手と共におさづけを取り次いでいただくと、不思議なことに何とも言えず身が軽くなって、身体の気だるさが消えていました。

父が部屋を出てからすぐに体温を計ってみると36度5分の平熱! あまりにも鮮やかな神様のお働きに驚くほかありませんでした。

 在るといへばある、ないといへばない。ねがふこゝろの誠から、見えるりやくが神の姿やで

(『正文遺韻抄』)

と先人が聞かせていただいたお話にありますが、私はこの経験以来、神様の存在を信じるようになりました。

親神様はどんな神様ですか?

天理教の教えがまとめられた『天理教教典』には次のように記されています。


 親神を、天理王命とたたえて祈念し奉る。

 紋型ないところから、 人間世界を造り、永遠にかわることなく、万物に生命を授け、その時と所とを与えられる元の神・実の神にています。  

天理教教典(第四章 天理王命)

私たち人間にもそれぞれ名前があるように、天理教の神様、親神様にもお名前があり、天理王命様と申し上げます。

私たちは神様にお願いしたり、お礼を申し上げるとき、この天理王命という神様のお名前を称えさせていただきます。

親神様は何もないところから、私たち人間をはじめ、全てのものを生み出された“親”なる神様(元の神)であるばかりでなく、作りっぱなしで放っておかれることなく、今もなお変わることなく、自然界においてもまた、私たち身体の中においてもお働きくだされ、ご守護くだされている神様(実の神)なのです。

ナゼ“親”神様なの?

神の前に親という言葉を加えて親なる神、親神であると仰せられるわけは、私たちのお父さん、お母さんと同じ気持で絶えず私たちをお見守りくださっている神様だということだと思います。

お父さんは家の中では大黒柱であり、家族一人ひとりの将来を考えて間違いがあれば厳しく諭し、いざというときには私たちを守ってくれる頼もしい存在です。また、お母さんは常に私たちをお世話くださり、優しく温かく見守ってくれている存在です。

 神さんの信心はな、神さんを、産んでくれた親と同んなじように思いなはれや。

 そしたら、ほんまの信心が出来ますで。

    

(『稿本天理教教祖伝逸話篇』
104「信心はな」)

親神様は、私たちの両親と同じ思いで私たちをいつもお見守りくだされている“親”なる神様なのであると教祖は仰せくださっています。

頼っても大丈夫?

◀︎エピソード3▶︎

大学3年生の夏、福井県の若狭という所で40人程の仲間と行った2泊3日の研修会で忘れられない経験をしました。

2日目の夜、懇親会(当時はコンパと呼んでいた)を楽しく終えて部屋で休んでいるところに突然、「大変や! 女の子が全身痙攣させて口から泡吹いている!」と友人が駆け込んで来ました。それまでも酔った人のお世話は経験していましたが、それは初めて見る容体で、一見して急性のアルコール中毒だと分かり、その姿に絶句しました。

次の瞬間、咄嗟に頭を過ったのは救急車→病院→お医者さん。私は友人にすぐに救急車を呼ぼうと相談をかけました。すると意に反して友人いわく「救急車もええけど、おまえ天理教やろ、神さんにお願いさせてもらったらどうや」。天理教の信者でもない友人からの一言に再び絶句。そうでした。忘れていました。私は神様から人をたすけるためにと尊いおさづけの理を頂戴していたようぼくでした。

早速、その場に居合わせた20数人の方に彼女が元気になってくれるよう一緒に神様にお願いをしてもらいたいと添い願いを頼み、無我夢中で(取り次がせていただいた私自身、声が震え背中までもが震えていた記憶が今も残っている)取り次がせていただきました。やっとの思いで取り次ぎを終え、我に返って彼女を見ると、何と彼女はスヤスヤと気持ち良さそうに眠っているではありませんか。

翌朝、食堂で彼女がにこやかな表情で「おはようございます!!」と挨拶をしてくれた時、神様にお願いさせていただいて本当に良かったと友人と頷き合いました。

しんじつの心を神がうけとれば

いかなぢうよふしてみせるてな           

(おふでさき 5・14)

そう、私たちの親神様は真実の心でお願いすればいつでもたすけてくださる誠に頼もしい神様なのです。

つづく


ページの先頭へ