お道の素晴らしさ

天理教教会本部准員/天理教飾東大教会長 紺谷 清春

第2回「おぢば」


あなたの相談相手は誰?

◀︎エピソード1▶︎

高校1年生の夏、中学時代から文通を続けていた彼女とようやく念願がかないデートをすることになった。その日、プレゼントにと心を込めて育てた手乗りのセキセイインコは、お付き合いをしている人がいるからということで受け取ってもらうことが出来ず、結果、初デートにして敢え無く撃沈。帰宅後、余りの悲しさに一頻り部屋で泣き明かし、深夜、何を思ったのか私は神殿へと向かっていた。神殿でぬかづき、さらには廻廊ふきを始めた。なぜフラれたのだろう?

自分の悔し涙を黙々とふき続け、ふと親神様はどう思っておられるのだろうと考え、自分はまだまだ未熟な人間だということに気付いた。そうだ、これからは自分を磨いてもっとイイ男になってやるゾ! との思いに至り、心の整理をすることができた。私の青春の忘れ難い1ページである。

振り返ってみると、私はさまざまな場面で、おぢばあるいは教会の神殿に行き、神様と相談させていただきながら心に安心を得て今日まで歩んで来れたのだと思う。

おぢばはナゼ安心出来るの?

おぢばに帰り神殿に佇むと不思議と心が落ち着き、安心感に満たされて、心が洗われるような気持ちになります。

それは、おぢばが親神様によって私たち人間をお創りくだされた所であり、私たち一人ひとりの魂の故郷であるからだと聞かせていただきます。

そのとこでせかいぢううのにんけんわ

みなそのぢばではじめかけたで   


(おふでさき 17号・7)

つまり、人間をお創めくださった“親”なる神様がおぢばにお鎮りになって私たち子どもが帰ってくるのをお待ち望みくださっているのです。

一人暮らしの若者が、時折、実家の親元に帰ると、何となく安堵するのと同じことだと思います。

おぢばはどこにあるの?

ところで、“おぢば”とは一体どの場所を指すのでしょうか?

もともと「ぢば」は、場所、地所、地点といった意味を持つ言葉です。例えば、皆さんも地場産業(地元に以前からある産業)と言った言葉を聞かれたことがあるでしょう。私たちは現在、広い意味で神殿や教祖殿などの建物のあるところ、または、これらの建物を囲むおやさとやかたや信者詰所などを含む一帯を指して「ぢば」あるいは「おぢば」と言いますが(親里とも呼んでいる)、教理の上から厳密に言うと、

かんろたいすへるところをしいかりと

ぢばのところを心づもりを  


(おふでさき 第9号・19)

とお示しいただいているように、かんろだいの据えられている地点が「ぢば」ということになります。現在の所在地は奈良県天理市三島町1番地、位置は東経135度50分35.7秒、北緯34度36分04秒になります。

また、

このやしきかんろふだいをすへるのハ

にんけんはじめかけたしよこふ

(おふでさき 第10号・79)

とも仰せくだされており、親神様がお鎮まりになられているぢばに人間を創めた証拠としてかんろだいが据えられているのです。なお、かんろだいは木製の六角形の台が十三段重ねられた次のような形状です。

おぢばには誰がいるの?

◀︎エピソード2▶︎

大学生活最後の冬、教祖百年祭が勤められ、国内はもとより遠く海外からも大勢の方々がおぢばにお帰りくださいました。私はこの教祖年祭の期間中、海外帰参者のお世話取りをさせていただく中に、生涯忘れられない経験をしました。

夜の10時過ぎ、寒中の黒門前で、遠くブラジルからお帰りになられた方をお迎えした時のこと。身上(病気)を抱えた中年男性がおられたので、私は車椅子を用意して乗っていただきました。神苑の玉砂利の中を押し進めながら、ブラジルの方にとって、夏の季節の国から冷え切った真冬のおぢばへ来られただけでもつらいはず、ましてや身上を抱えたこの方にとってはさぞやつらいことだろうと考えていたのです。

神殿への石段から南礼拝場の結界のところまで背負ってお連れしたとき、私はその方が男泣きするのをこらえ、嗚咽しておられる息づかいを首筋に感じました。そして親神様の前に座わられるや、額を畳にすりつけるように頭を垂れ、肩をガタガタ震わせて泣き出されたのです。一体どんな思いを打ち明けておられるのだろう? 私はその方の参拝しておられる姿に見入ってしまいました。そして、その方を通して何とも言えぬ温かいものを身に感じ、それと同時に親神様は、長らくこの方の帰って来るのを待ち望んでおられ、この方の真実の心を今、どれほどお喜びくだされているのだろうと感じずにはおれませんでした。この出来事を通して、おぢばには親神様がおられ、私たち子どもが帰って来ることを待ち望んでおられるのだと確信することができたのです。

おぢばに帰ると……

後日、その方の記事が天理時報に掲載されました。当時のブラジルはたいへんなインフレで貨幣価値がほとんどなく、おぢばへ帰るために家の財産を売って飛行機のチケットを購入されたとのことでした。しかもその方は、医者から長時間のフライトは命の保証ができないと宣告されていたのにも関わらず、命懸けでおぢばに帰って来られ、滞在中にすっきりと身上をご守護いただかれたそうです。

しんぢつの心を神がうけとれば


いかなぢうよふしてみせるてな  


(おふでさき 第5号・14)

私はあの時、あの方の参拝されていた姿が忘れられません。そして、その姿が私の目標の一つであることに今も変わりはないのです。

つづく


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