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お道の素晴らしさ

天理教教会本部准員/天理教飾東大教会長 紺谷 清春

第4回「おつとめ −その1−」


ナゼおつとめをするの?

親神様の思召を私たち人間にお伝えくださった教祖は、月日のやしろにお定まりくだされた41歳より現身をお隠しになられた90歳までの50年もの間、一貫して、人々に機に応じて言葉を掛け、忘れることのないよう筆に記し、自ら範を示して行動されて、陽気ぐらしのための具体的な手段をお示しくださいました。

しかし、それは同時に、陽気ぐらし世界を実現するために最も大切なおつとめを勤める人々を育てて、つとめを完成させるという目標を実現させるための50年でもありました。

このつとめなんの事やとをもている
よろづたすけのもよふばかりを

(おふでさき 2号 9)

りうけいがいさみでるよとをもうなら
かぐらつとめやてをとりをせよ

(おふでさき 1号 14)

親神様はおつとめをすることで身上やあらゆる悩みをご守護くださると共に、豊かな自然の恵みを与えてくださると仰せられています。

つとめさいちがハんよふになあたなら
天のあたゑもちがう事なし

(おふでさき 10号 34)

また、親神様のお立場からすれば、私たち人間が神様のご恩にお礼申し上げ、おつとめを真剣に勤めることで、難儀不自由をたすけてやりたい、そして不自由のないように日々暮らすための万全の守護を与えてやりたいとの思いから、おつとめをお教えくだされたのです。

おつとめは誰が教えたの?

おつとめは教祖が周囲の方々の手を取って直接お教えくださいました。教祖はおつとめを勤める人材を育てられたのをはじめ、おつとめに必要なさまざまな準備を整えられました

具体的には、教祖69歳の時より、おつとめの地歌と手振りを教えられ、以後、おつとめに必要な道具(かぐら面)を作り、おつとめを勤める場所(ぢば)をお定めくださり、83歳の時にようやく三曲を含む鳴物を揃えておつとめが行われています。

おつとめに込められた思いは?

教祖は陽気ぐらし世界実現のため、おつとめの実行を急き込まれましたが、当時の社会状況はお道にとって大変厳しく、お屋敷に人々が寄り集っておつとめをするたびに、警察や監獄へご苦労くださるという状況でした。そのため、教祖の思いとは裏腹に、周囲の人々は教祖のお身体を思っておつとめを仰せ通りに実行することができませんでした

そのような中で、教祖は定命を25年お縮めになり、自ら身を隠されてまでもおつとめの実行を促されたのです。それは教祖の身を心配することなくおつとめを勤めさせてやりたいとの深い親心ゆえのご配慮でした。
おつとめには、どうでも勤めさせてやりたい、そして、世界一れつの人間を一人余さずたすけたいとの教祖の大きな大きな親心がこもっているのです。

◀︎エピソード1▶︎

今から30数年前、韓国のある教会で耳の不自由な信者さんと会長さんが毎日おつとめの後、鳴物の練習を熱心に続けておられました。ある日、ふといつもと鳴物を打つ様子が違うことに気付かれた会長さんは、その方を医者に連れて行き、診ていただくことにしました。すると、不思議なことに生来なかったはずの鼓膜ができていて、今は音が聞こえているとのことでした。お二人はあまりに不思議な神様のお働きに手を取り合って喜ばれたそうです。 おつとめを真剣に学び、勤めさせていただく中に、無い命もつないでくださり、変わらぬ運命も立て替えてくださる。おつとめは、親神様・教祖の切なる親心のこもったものなのです。

おつとめをするとナゼたすかるの?

◀︎エピソード2▶︎

私の父は30代のころ、おつとめについて一つの疑問があったそうです。それは、親神様は世界一れつをたすけたいと仰せられているのだから、単純に人間がたすけてくださいと心に思うだけでたすけてくださったらよいものを、なぜわざわざ歌ったり、手を振るというおつとめを教祖を通して教えられたのだろうかということでした。  その疑問は、寝ても覚めても頭から離れず、父はひたすら考え続け、ちょうど100日がたったころのこと。夕づとめを終えてお楽しみの晩酌をしているところに、2歳のかわいい娘がやって来ました。たまにはスキンシップをとそばに呼び寄せ「お手てパチパチ、バンザーイ!!」と言ってして見せると、期待通りに愛娘は紅葉のようなかわいい手で柏手をして両手を高々と挙げてくれました。あまりのいとおしさに娘をギュッと抱き寄せ、頭をなでていた時、ハッとして長らく考え続けた疑問が解けたのだそうです。

親の言ったことを素直に行動に移してくれた娘の姿は、子どもの幸せを思う親であればそれだけで誰しもがうれしく、この子のためならば我が命に代えてでも守ってやりたいという親としての真実の心が自然に湧き起こってくるはずです。
同様に、私たち人間をお創りくだされた親神様も、私たち子どもがおつとめを素直に実行することにより、親なる神様の懐で、さらにギュッと抱きしめていただけるのではないだろうか。その姿こそがおつとめの本質であり、おつとめを通してたすけていただくということなのだと父は、愛娘を通して悟ることができたのでした。

にんけんもこ共かわいであろをがな
それをふもをてしやんしてくれ 

(おふでさき 14号 34)

つづく


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