老沼育正「自分語り、失礼します。」

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自分語り、失礼します。

父親の後を継ぎ教会長になって3年。さらにその3年前、父親から変なメールが届いた。 「3年後、教会長就任奉告祭。今日、役員会議で発表した」。

ノリで「了解♪」と送っておいた。教会に生まれ、教会長の息子として育ち、次は自分が教会長を勤めるということ。うすうす気付いていたというか、暗黙の了解というか。ただ、もうちょっとこう、ないのかと。

例えば、薄暗い部屋で「育正、折入って話がある」「何だい、父さん」「ワシもそろそろ年だ。後はおまえに任せたい」「分かったよ、父さん」みたいなのがあると思っていた。しかし、ノリで「了解♪」なんてメールができるようになるまでには、いろんなことがあった。この機会にちょいと昔のことを思い出してみようと思う。

教会という所

教会で生まれ育った私。教会生活はガラス張りのようで実に窮屈である。

わが家は裕福ではないものの、特に貧しかったわけではないと思う。学校に必要なものは、ちゃんと買ってもらえた。しかし、おもちゃだけは買ってくれなかった。何をねだっても「苦労している教会もある」と言うのが父親の常であった。

いろんなことを言ってくる信者さんもいた。「教会の子が髪なんか染めるんじゃない」「教会の子がピアスなんか開けるんじゃない」。このような環境にあって、少しは傷付いたフリでもしていれば、かわいげもあるのかもしれないが、楽天家な母親に似た私は、この環境が楽しくて仕方なかった。

おもちゃは人から借りればよい。友達の家で遊ばせてもらえばよい。そもそも、おもちゃなんか要らないくらい信者さんや青年さんが遊んでくれた。いろんなことを言ってくる信者さんに対しては、母親譲りの毒舌で論破した。

「昔は良かった」「今だから笑える」なんて話をよく聞く。今、置かれている環境に対して文句を言う人をよく目にする。今、苦しんでいることが、いつか「昔は良かった」「今だから笑える話」に変わるならば今、今を変えてしまおう。

高校生の頃、そんなことを思い付き、毎日楽しく生きていた。

思春期の終わりにありがちなこと

大学1年生の時、ある青年さんから言われた。「育正君は将来、人の上に立つ人間だから。俺は命を懸けて支えさせてもらうから」。その時、自分の中の何かが壊れた。

否定されることには免疫ができていたが、肯定されることが、こんなにもつらいことなのか。いや違う。今までも自分を肯定してくれた人はいる。自分を認めてくれる人、褒めてくれる人。これは、否定でも肯定でもなく、教会長になった自分への期待。

その青年さんが、月次祭のおさがりの果物を持って来てくださった。家から車で約3時間の教会。月次祭の日に休みを取り、おつとめをしっかり勤め、明日仕事だというのに、果物を届けるためだけに、往復6時間の道のりを車で走って来られた。

そんな一生懸命信仰している人の上に立って、命を懸けて支えるほどの価値なんて、自分には……ない。

全身に力が入らなくなった。何もする気が起きなくなった。大学にも全然行かなくなった。それまで今を美化して楽しく生きていたが、将来の不安は今の楽しみも見えなくしてしまう。

外の釜の飯

大学1年生が終わる頃、学校に全然行っていないことが両親にバレた。両親は問い詰めることも怒ることもせず、ただ話を聞いてくれた。しかし、私はうまく言葉にすることができなかった。

教会長を勤めることに不安があるけれども、そもそも教会長がどんな仕事をするのかさえ知らない。他に何かやりたいことがあるわけでもない。ただ何もやる気がしない。だったら、行きもしない大学へ学費を払うのはもったいないので、学校を辞めたいとだけ伝えた。

父親は「せっかく受かった大学なんだから。辞めるのはいつでもできる。1年間休学するとして、ちょっと外の釜の飯食ってこい」。そう言うと、どこかに電話を掛けた。「息子を1年間預かっていただきたいのですが……」。

今の悶々とした環境が変わるならば、どこへでも行きたいと思った。電話を切った父親が振り返って、こう言った。「明日パスポート取ってこい」。数週間後、私はアメリカのロサンゼルスに立っていた。

(ページ「2」へ続く)

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