老沼育正「自分語り、失礼します。」

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思えば遠くに来たもんだ

「外の釜の飯食ってこい」とは言われたが、まさか国外まで飛ばされるとは思ってもみなかった。アメリカのロサンゼルスにある天理教アメリカ伝道庁に「ひのきしん者」という立場で住み込ませていただくこととなった。

アメリカには叔父家族と大叔母家族も住んでいる。みんな私を心配してくれた。伝道庁の庁長先生ご夫妻をはじめ、書記先生ご家族、青年さん、布教の家の寮生さん、伝道庁や教会につながる方々、みんな私に優しくしてくれた。

そりゃ人間同士、たまにぶつかり合うこともあったが、必ず慰めてくれる人、叱ってくれる人が隣にいた優しい世界。赤く染めた髪を肩まで伸ばし、左の耳には四つのピアス。どこの誰だか分からない怪しげな人間を受け入れてくださった伝道庁の皆さま方。私はアメリカに足を向けて寝ることはできない。アメリカがどっちだか分からないけど。

実家から遠く離れた生活の中で、一つの楽しみを見つけた。父親との文通である。「伝道庁で台所のお手伝いをさせていただいています」と手紙を送れば、「台所は火様と水様、二つの神様がおられるから、ほこりを積みやすい。ほこりを積まぬように」と返ってくる。

日々の様子や疑問、いろんなことを父親に伝えると、すぐに返事が来た。教会長の父親はとても忙しく、私が高校生の頃は、寮生活だったせいもあり、月に1度、父親と一緒に食事をするのが唯一の親子の時間だったが、忙しそうな父親を独り占めしているような気がしてうれしかった。

しかし、大学生になってからはそれもなくなっていたので、今は文通で独り占めをしている気がしてうれしかった。父親からの手紙には必ず信仰的なことが書かれていた。それまでは言われるままに勤めていたおつとめ。意味も分からず記憶だけしていた「八つのほこり」や「十全の守護」。それらが、こんなにも実生活に役立つものかと驚いた。

不思議な出会い

教会長を継ぐのは不安だけど、教祖の教えは素晴らしいと思うようになってきた頃、「君が、老沼君かい?」と、フランスのパリに住んでおられるある先生が話し掛けてくださった。「実は私のおばあさんの命をたすけてくれたのが、君のひいおばあさんなんだ。今、私が生きているのは、君のひいおばあさんのおかげなんだ。ありがとう」。

何が何だか分からなかった。アメリカでフランスのパリに住んでいる先生に、ひいおばあさんがおたすけをしたことに対して、そのお孫さんからお礼を言われたのである。

天理教はすごい。もし、私が信仰を心に治め、一生懸命おたすけしたならば、顔も知らないはるか未来の子孫が心を倒した時、それを恩返しと思ってたすけてくれる人が現れるかもしれない。

何というおたすけの連鎖。私はこの時、信仰をもっと真剣に心に治めようと決めた。ひいおばあさんのようなおたすけ人になりたいと思った。

教会長になるなんてことは単なる通過点。それ以来、「将来の夢は?」と聞かれたら、当時はやっていた漫画をまねして、「G(グレート)・K(教会長)・O(老沼)」と答えるようになっていた。G・K・O(予定者)ここに誕生する。

G・K・O奮闘記

約1年間アメリカに滞在し、帰国して大学に復学した私。信仰を心に治めたいという欲求がひどい。そんな時に限って、下宿させていただいている詰所が人手不足。ナイスタイミング以外の何物でもない。

当時、任されたご用は事務と食堂。修養科生さんと共に朝づとめを勤め、朝食を作り、学校へ。学校が終わると夕食を作り、修養科生さんとおてふりの練習をした後、アルバイトへ。夜中に帰宅し、翌朝の朝食の下ごしらえをして就寝。アメリカで台所に入った経験が大いに役に立った。

毎日が充実して楽しかった。めちゃくちゃ美人の彼女もできた。強引な結婚の結果、今はその彼女、私の奥さんである。その後、学生時代に別れを告げた私。父親の「ワシの目の黒いうちは、全てワシの言いなりな」の「鉄のおきて」により、さまざまなご用を勤めさせていただくことになる。

父親は私にこう言った。「おまえはワシの切り札。どこにでも張れるJOKERだ」。

都賀のJOKER、ここに誕生する。

(ページ「3」へ続く)

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