平川寛行「病の元は心から」

「スリランカ布教」

私が布教の家(愛知寮)にいた頃、足を骨折したスリランカ人と知り合った。彼の名前はセナさんである。「よかったら足をおさづけさせていただきます」と話し、取り次ぐとすぐに足の痛みが治まった。驚きとともにお礼を言った。

それからほどなくして、よく参拝に来るようになった。外国人だからといって躊躇(ちゅうちょ)せず勇気を出して声を掛けてよかったと思った。彼は、いつかスリランカに天理教の教えを広めてほしいと私たちに願った。

それから月日が流れ、11年前に奇遇にも大教会長様の新たな布教のご命でスリランカに行かせてもらうことになった。

当時は戦時下で、空港は爆破テロが頻繁に起こったため、たくさんの軍隊が護衛に当たっていた。兵士が至る所でライフルを構えていて、ホテルまでの道路には多くの検問があり、土のう袋を重ねた壁の向こう側に兵士が銃を構えていた。

町の様子をタクシーの中から撮影していたら、タクシーの運転手がカメラのフラッシュが銃と誤認されて追撃されるので、くれぐれも写真は撮らないでと言うほどだった。

空港近くのホテルで、以前、おさづけをしたセナさんと感激の再会をした。セナさんは25年間続く内戦を天理教の教えで早く終結したいという強い思いや、友人たちの病気が早く治ってほしいということもあり、天理教の教えをほとんど眠らずにあちこちと精力的に私たちと伝え広めた。

警察や軍部施設の兵士たちにも直接訪問して、平和な行いができるようにおつとめとひのきしんを伝え続けた。

セナさんを通じて20万人ににをいがけをさせていただいた。もちろん、私一人が派遣されたのではなく、今年で延べ45名が伝道をさせていただいた。

そして、戦争は布教を始めてから2年後に終結した。わずかだが平和に寄与させていただいたという気持ちになった。

おさづけの不思議

時には、おさづけ中に目が見えない人がうっすら見えるようになったり、歩けない人が歩けるようになったり、脳性まひの子どもが治ったりと、おさづけのご守護を目の当たりにすることが多くあった。

ある時、集落の全員をおさづけすることになった。人数が多いので3日間かけておさづけをさせていただいた。初日、村人におさづけをさせていただくと、良くなった人が口コミで村人を誘い、病院から入院中の患者を無理やり連れて来て、おさづけを受けさせるほどであった。

また、戸板に乗せて包帯でグルグル巻きにされた老人は「身体の全部を治してほしい」と連れて来られたりもした。治るお祈りがあると聞いて家族も必死である。とにかく、1日10時間、途切れることなくおさづけをさせていただいた。

3日間で2人で700名ほどの病人におさづけさせていただいて感じたことがある。それは、「日々の自分の心のほこりを払いますから、どうか親神様(おやがみさま)、この病人をたすけてください」と私は願うが、おさづけをするたびに自分の心の掃除を(「あしきはらい」の手振りを)させていただいているので、今まであった心のわだかまりや、嫌だった過去や自分の癖を払おうと思うからなのか、何もかも忘れるくらい真っ白な、とても心地よい気持ちになっていった。

ただ純粋に、目の前の相手の苦しみをおさづけによってたすかってほしいと願える自分になっていた。

おさづけが終わると「いつ治りますか?」と村人は聞く。私も神様に聞きたいところである。そこで、「毎日あなたも神様に思いがつながるおつとめをしませんか?」と聞くと「はい」と答えた。

そして、みんなでおつとめを練習した後に、「このおつとめを毎日してくださいね。おぢばの写真と御供(ごく)を渡しますから、一番大事な所に置いてください。そして、このおぢばの写真に向かって毎日おつとめをしてください。その時、願うことは自分のたすかりではなく、身の回りで病気やトラブルで困った人がいたら、その人が良くなることを願ってください。あなたのことは、神様がちょうど良い時にちょうど良くしてくださいますよ」と話すと、何か分かったような笑顔になり、うれしそうにおぢばの写真を大事に持って帰ってくれる。

その純真無垢な親神様への信仰心にご守護が現れると思っている。私たちはその心の向きをスリランカからいつも学ばせていただいている。

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