松村登美和「25年前の私」

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25年前の私~大学3年生・秋

ホスピス

僕が在籍した大学の専攻では、卒業論文のテーマは2年生時に決めるよう指導されていた。僕は「ホスピス」について書こうと決めた。

「ホスピス・緩和ケア」とは、末期に至る疾患を持つ患者さんと家族を、身体的にも社会的にも、心理的にも信仰的にも支えていく援助のこと、と言ってよいと思う。

「信仰的」と書いたが、この部分は現在「スピリチュアル」という表現が使われているようだ。ケアをする人が確たる信仰を持たない場合は「信仰的」援助は難しいわけで、「スピリチュアル」という言葉が当てはまるのだろう。

しかしわれわれ信仰を持つ者にとっては、要するに信仰的な側面から相手を支える、という意味なのだと思う。

卒論の担当教授は、そういうテーマなら実際にホスピス病棟へ実習に行った方が良いと、勧めてくれた。しかし軽い気持ちの人間をそこへ送るわけにはいかないからと、2年次で自閉症児親子の療育プログラム、3年次で特別養護老人ホームの実習へ行くように、準備を調えてくださった。

そして4年次、当時国内に2カ所しかなかったホスピス病棟の一つへ、実習に行かせていただいた。

僕の根拠、規準

そのような流れがあって、大学3年生の9月に、東京都内の特別養護老人ホームへ実習に行った。

内容は、食事や入浴の介助、リハビリの手伝い、入所者さんと家族のやり取りについての事例勉強(個人情報保護を思うと今では考えられないことだが)、それに福祉事務所職員に同行して施設を巡回するなど、大変実のある勉強をさせていただいた。

実習先には三谷さん(仮名)という卒業生の方がおられ、その先輩が実習指導員だった。教授からは「三谷くんは厳しいから頑張ってね。鍛えられて来なさい」と言われて、送り出された。

実習は2週間だったが確かに三谷さんは厳しかった。

ある時、このような意味のことを言われた。

「松村君は、介助やお世話をするときに、誰の学説を根拠にしてやっているの? “自分はこういう考え方でやるんだ”ってことをもっと意識しなきゃだめだ」。

所属の研究室は心理学の系統だった。一口に心理学といってもその中には多彩な主義主張が存在して、その中で君はどうなの? というツッコミだった。正直なところ、そんなこと考えてみたこともなかった。

数日考えて、行き着いた答えは「自分はお道の精神で入所者さんと関わっている」ということだった。

お世話のいろいろな場面で、自分がどのように相手と接するか、話すか、自分がどう行動するか、それらを決定付けている自分自身の規準は、それまでの20年間に親や周りの人から教わってきたこと、見ながら覚えてきたこと、教会生活を通して身に付いてきたことの中にあると気付いた。

つまりそれは、親神様(おやがみさま)の教えであり、教祖(おやさま)のひながたなのだと思った。

三谷さんは本当に厳しく、苦手な先輩だった。でもその時のツッコミのおかげで、自分の中に信念が生まれた。さまざまな判断を要するとき、僕が根拠に据えるのは、親神様の教えであり、教祖のひながたなのである。

三谷さん、ありがとうございました。

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