松山勇一「無駄なことはない」

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無駄なことはない

皆さんは、あることをきっかけに、今まで見ていた光景が全く別のものに見えたという経験はありますか? 私には、今でも鮮明に思い出される光景があります。それは多民族国家であり、観光都市としても有名なシンガポールのメーンストリート「オーチャード・ロード」を歩くさまざまな国籍の人の波です。

24歳の秋、私はシンガポールに滞在していました。当時、天理教語学院(TLI)で英語を学んでいた私は、クラスメート9名・引率の先生2名と共に、現地の語学学校への短期留学や日本語学校をはじめとする、さまざまな施設での文化交流を中心とした研修を行っていました。

私はこの研修期間中の代表として指名され、文化交流のプログラムや施設でのあいさつを考えたりしていました。慣れない地での活動に加えて、メンバーのまとめ役など、やりがいよりもプレッシャーばかりを感じる日々でした。

そんなある日、ささいなことから、私は引率の先生の1人と衝突し、先生方の気持ちを傷つけるような言動を取ってしまいました。内心では「しまった」と感じながらも、一度口から出した言葉を無かったことにはできません。

すぐに、もう1人の先生から呼び出しを受け、2人きりで話し合いました。両親以外から、2時間のお説教を頂いたことは、後にも先にもこの時だけでしょう。

先生からはお叱りを頂くとともに、私に対して期待してくださっている気持ちや、人をまとめていく上での心の持ち方など、時には熱く、また時には冷静にご指導いただきました。

そのおかげで、自らの過ちを真摯に反省することができたとともに、どのような中も自分の意識の持ち方がいかに大切であるかを叩き込んでいただきました。

そうして改めて低い心を持って、研修の残りの日々を「ひのきしん」の態度で努める中、シンガポール随一の繁華街で、ふと気付くことができたのです。

「目の前を何千人という人が通り過ぎていく……。アジア系、インド系、アフリカ系、ヨーロッパ系……。おそらく、この中に天理教を知っている人は誰もいない。この中に『陽気ぐらし』を知っている人は誰もいない……」と、ふと心に浮かんだのです。数日前までは「いろいろな国の人がいるなぁ」としか目に映らなかったのに……。

自らがまいた種により、2時間のお説教を頂きましたが、そのおかげで謙虚に通る大切さを教えていただき、謙虚に通って初めて、物事を客観的に見つめることができるようになりました。

私はシンガポールの地で失敗したからこそ、心の使い方の重要性を学ぶことができ、神様のご用に対する積極的な意欲を与えていただけたのです。

ありがたい! 無駄な経験は何一つないのです。失敗こそが、私の財産かもしれません。

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