ホーム ホーム > お道のことば

お道のことば

あ行

朝づとめ

教会本部では、日の入りを基準に時刻を決めて勤められます。大教会や分教会、布教所などでは、それぞれに時刻を定めて勤めます。 おつとめでは、拍子木、ちゃんぽん、太鼓、すりがねに合わせて、参拝者全員が「みかぐらうた」第一節から第三節までを唱え、お手を振ります。 十全なるご守護に生かされていることにお礼申し上げ、今日一日、思召に沿って勇んで勤めることをお誓いし、また今日も無事無難に健やかにお連れ通りいただけますようにとの願いを込めて勤めます。 おつとめの後には、てをどりの稽古や『おふでさき』・『諭達』などの拝読、さらに教話の取り次ぎなど、教えを治め、心を磨く時間が持たれています。

いんねん

元来は仏教用語で、直接的原因(因)と間接的条件(縁)との組み合わせによって、さまざまの結果(果)を生起することを意味します。 『おふでさき』では専ら、「元のいんねん」の意味で使われています。すなわち、親神様が陽気ぐらしを見て共に楽しみたいと、元のちばにおいて人間を創造されたという元初まりに由来するいんねんです。 『天理教教典』では、また、「善き事をすれば善き理が添うて現れ、悪しき事をすれば悪しき理が添うて現れる」と、厳然たる因果律の存在が述べられています。いんねんは今生一代にとどまらず、末代の理である魂に刻まれて、来生へと受け継がれるものであります。 ただし、本教でいういんねんには、仏教などでいう因果応報とは違い、その奥に陽気ぐらしへと導こうとされる子供かわいい親心があることを忘れてはなりません。

おさづけ

??

おぢば

??

おつとめ

??

おやさとやかた

「おやさとやかた」は、ぢば・かんろだいを取り囲む東西南北の八町(約872メートル)四方の線上に、教祖の「屋敷の中は、八町四方と成るのやで」とのお言葉に基づいて、計68棟を立て巡らす構想のもと建築が進められています。 その理念は、親神様、教祖の待ち望まれる陽気ぐらし世界の実現に向け、まず親里に陽気ぐらしの雛型を実現しようというもの。昭和30年(1955年)以来、これまでに26棟が竣工し、別席場をはじめ、教義及び史料集成部、天理教校、天理大学、修養科、憩の家など、陽気ぐらし実現につながるさまざまな目的に使われています。

か行

かしもの・かりもの

だれもが自分のものであると思って使っている身体を、親神様からの「かりもの」と教えられます。そして、心だけが自分のものであり、この心通りに身の内をはじめとする身の周りをはじめとする身の周りの一切をご守護くださるのです。これを、「人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々でる」(おさしづ 明治22年2月14日)と仰せになっています。 従って、かりものである身体は、貸し主である親神様の思召に適う使い方をすることが肝心です。この真実を知らずに、銘々に勝手気ままな使い方をすることから、十全なるご守護をいただく理を曇らせ、ついには身の不自由を味わうことにもなってきます。 この思召に沿わぬ自分中心の心遣いをほこりにたとえ、不断に払うことを求められます。 また。親神様の自由のご守護に与ることのできる心遣いは誠の心であり、その最たるものは「人をたすける心」であると教えられます。 「借りる」とは「他人のものを、あとで返す約束で使う」(『広辞苑』)ことです。従って、かりものである身上(身体)は、いずれはお返しすることになります。これが出直しです。 そして、末代の理である銘々の魂に、新しい身体をお借りしてこの世に帰ってくることを、生まれ替わりと教えられます。

かぐらづとめ

かんろだい

人間宿し込みの元なるぢばに、その証拠として「かんろだい」が据えられ、礼拝の目標となっています。 人々の心が澄み切って、親神様の思召通りの「ようきづとめ」を勤める時、この台に、天から甘露(天の与え)が授けられます。これを頂くと、人は皆、病まず、死なず、弱らずに115歳の定命を保ち、この世は陽気ぐらしの世界となると教えられています。 また、かんろだいは、人間の創造と成人の理を表して形造られています。

こうのう

さ行

さづけ

病む人に取り次いで身上回復のご守護を願うものです。 親神様は取り次ぐ者と取り次がれる者の心の真実をお受け取りくださって、どのような不思議なたすけもお現しくださいます。 「さづけの理」は、9度の別席順序を運んで心を洗い立て、たすけ一条を誓って願い出るところにお授けくださいます。おさづけの理を戴いた人を「ようぼく」と呼びます。

さんげ

た行

たすけ一条

だめの教え

たんのう

「たんのう」の原義は足りているということだとされています。つまり、満足したという心の状態です。 苦しい状況でたんのうするとは、単に歯を食いしばって我慢したり、泣く泣く辛抱することではありません。これで結構、ありがたいと前向きに受け止め、心を励まして踏ん張ることです。また、そこに運命の切り換わる道が開けてくるのです。従って、たんのうはあきらめの心情ではありません。悪い状態を無気力に受容することでもありません。 「たんのうは前生いんねんのさんげ」とのお言葉にうかがえるように、成っきた事柄を成るべくして成ったものと受け止め、その因ってくるところを思案し、芳しくない運命が切り換わるよう、理づくり、努力することを決意することです。

ぢば

元初まりに、人間を宿し込まれた地点を「ぢば」といいます。すなわち、全人類の故郷であることから、ぢばを中心とする一帯を親里と呼びならわしています。 ぢばには、親神様のお鎮まりくださる所として、天理王命の神名が授けられ、ぢばを囲んで陽気ぐらしへの世の立て替えを祈念する「かぐらづとめ」が勤められます。

つとめ

天理教における最も大切な祭儀で、たすけ一条の道の根本の手立てです。第一義的には、本部神殿で勤められる「かぐらづとめ」を指します。つとめは「かぐら」を主とし、「てをどり」に及びます。 かぐらは、10人のつとめ人衆が「ぢば・かんろだい」を囲んで、元初まりの人間世界創造に際しての親神様のお働きを手振りに表して勤めることによって、元初まりの親神様のご守護を今に頂き、よろづたすけの成就と陽気ぐらしの世への立て替えを祈念するものです。 かぐらに続いて、神殿上段で男女3人ずつによる、てをどりが勤められます。いずれも、つとめの地歌である「みかぐらうた」と九つの鳴物の調べに合わせて、陽気に一手一つに勤められます。 つとめは、また、その意味合いの上から、ようきづとめ、たすけづとめ、かんろだいのつとめとも呼ばれます。 教会本部では、立教の日柄である10月26日に秋の大祭(午前8時から)、教祖が現身をかくされた日に当たる1月26日に春の大祭(午前11時30分から)が勤められ、それ以外の月には26日に月次祭(午前9時から)が勤められます。また、4月18日には教祖誕生祭(午前10時から)、元日には元旦祭(午前5時から)が勤められます。

月日のやしろ

出直し

天理教では、人の死を「出直し」といいます。親神様からの「かりもの」である身体をお返しすることを指します。 出直しの語は元来、「最初からもう一度やり直すこと」を意味することからも察せられるように、死は再生の契機であり、それぞれの魂に応じて、また新しい身体を借りてこの世に帰ってくる「生まれ替わり」のための出発点であることが含まれています。 前生までの心の使い道であるいんねんを刻んだ魂は、新しい身体を借りて蘇り、今生の心遣いによる変容を受け、出直し生まれ替わりを経て、また来生へと生まれ出ます。

てびき

てをどり

な行

にをい

にをいがけ

「にをいがけ」とは、匂い掛け。お道の匂いを、親神様を信仰する者の喜び心の匂いを、人々に掛けていくことをいいます。真のたすかりの道にいざなうための働き掛けです。親神様のありがたさを世の人々に伝え、信仰の喜びを広め分かち合うことは、何よりのご恩報じの実践です。 にをいがけは、単なる宣伝や勧誘ではありません。また、人にお話をするという形だけに限定されるものでもありません。花の香りや良い匂いが自然に周囲に広まって人が寄り集うように、日々常に教祖のひながたを慕い、ひのきしんの態度で歩ませていただく姿が、無言のうちにも周囲の人々の胸に言い知れぬ香りとなって映り、人の心を惹きつけてゆくのです。 たとえば、近所の公園や道路のゴミ拾いなどのひのきしん、あるいは、職場や地域での明るく親切なふるまいや率先しての行動は、自ずと成程の人として、道の匂いを周囲に映していくことでしょう。 そうした実践の上に、1人でも多くの人に、1日も早く親神様の思召を知ってもらい、ご守護のありがたさを味わっていただけるように、積極的に声を掛け、ひと言のお話も取り次がせていただく、また、パンフレットの1つも読んでもらえるように努めることが大切です。たとえ十分には聞いてもらえなくても、精いっぱいの真実を込めて語り掛ける、それが大切なにをいがけです。

は行

ひながた

ひのきしん

親神様のご守護に感謝をささげる自発的な行為が「ひのきしん」です。 一般的には、寄進は「社寺などに金銭・物品を寄付すること」(広辞苑)を意味しますが、 なにかめづらしつちもちや これがきしんとなるならバ  十一下り目 7 と、本教では身をもってする神恩報謝の行いをも寄進としてお受け取りくださるところに、ひのきしんの面目があります。 従って、貧富や老若男女の別なく、真実の心一つでだれにでもできるものです。 「日々常々、何事につけ、親神の恵を切に身に感じる時、感謝の喜びは、自らその態度や行為にあらわれる。これをひのきしんと教えられる」(天理教教典)とあります。すなわち、ひのきしんは、日々の絶えざる喜びの行いであり、その姿は千種万態です。信仰のままに、感謝の心から、喜び勇んで事に当たるならば、それはことごとくひのきしんとなります。 やしきハかみのでんぢやで まいたるたねハみなはえる  七下り目 8 とありますように、ひのきしんは本来、おぢばへの伏せ込みを第一義としますが、その理をうける教会への伏せ込みや、より広義には親神様のお喜びくださる行いすべてをも指すということができます。

ふし

ふしん

ほうき

ほこり

親神様の思召に沿わない心遣いを「ほこり」にたとえてお諭しくださいます。 ほこりは吹けば飛ぶように些細なものですが、油断をしているといつの間にか積もり重なり、ついにはちょっとやそっとではきれいにならないものです。 それと心遣いは銘々に我がの理として許されてはいますが、思召に適わない自分中心の勝手な心を使っていると、やがて心は曇り濁って、親神様の思召も悟れなければ、十分なご守護も頂けなくなってしまいます。 これが、身上の障り、事情のもつれともなって現れます。 このほこりの心遣いを反省し、払う手掛かりとして、をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまんの八つのほこりを挙げ、さらに、「うそとついしょこれきらい」と心遣いの間違いを戒められています。 教えの理を聞き分け、心の定規として、心遣いを改めるならば、心はすきやかとなり、身も鮮やかに治ります。これを「神がほうき」と仰せられます。 詳しく知りたい方は、八つのほこり解説ページへ。

ま行

まなび

や行

やしろ

夕づとめ

教会本部では、日の出を基準に時刻を決めて勤められます。大教会や分教会、布教所などでは、それぞれに時刻を定めて勤めます。 おつとめでは、拍子木、ちゃんぽん、太鼓、すりがねに合わせて、参拝者全員が「みかぐらうた」第一節から第三節までを唱え、お手を振ります。 一日を結構にお連れ通りいただいたお礼と反省、そして明日への祈りを込めます。 おつとめの後には、てをどりの稽古や『おふでさき』・『諭達』などの拝読、さらに教話の取り次ぎなど、教えを治め、心を磨く時間が持たれています。

ようぼく

ようぼくとは、別席を運び「おさづけの理」を拝戴した人のこと。
おさづけを病む人へ取り次ぎ、教祖の教えを人々に伝えて、陽気ぐらし世界の建設に向かって力を尽くすことです。

陽気ぐらし

よろづたすけ

わ行

をびや許し

をびや許しは、親神様が人間を創めかけられた、すなわち、人間宿し込みの元のぢばから出される安産の許しです。これを頂き、親神様にもたれてお産にのぞむならば、どんな人でも安産させていただくことができます。 昔から「お産は女の大役(大厄)」といわれるように、子どもを産むことは女性にとって命懸けのことでした。そのため腹帯(産後に巻く)、毒忌み(妊娠中の食事制限)など、お産にまつわる習俗がたくさんありました。 それに対して教祖は、をびや許しを頂いた者は、疑いの心をなくして教え通りにするならば、「をびや一切常の通り、腹帯いらず、毒忌みいらず、凭れ物いらず、75日の身のけがれもなし」と教えられたのです。このをびや許しが道あけとなり、お道は四方へ伝わっていきました。 をびや許しは、妊娠が6カ月目に入れば、いつでも頂くことができます。所属の教会を通じて、本部直属教会に申し出て、願書を準備します。その上でおぢばへ帰り、本人が直接願い出ると頂けます。やむを得ず本人が帰れない場合は、夫か親が、代わって頂くことができます。 をびや許しで頂く御供は、ぢば・かんろだいを囲んで勤められる「をびやづとめ」に供えられたもので、三包みの御供が1袋に入っています。 一包み目は「身持ちなりの御供」。妊娠中、胎児の居住まいが正常であるように、親神様にお願い申し上げて頂きます。 二包み目は「早めの御供」。産気づいていよいよ出産が迫った時、時間を仕切って親神様にお願い申し上げて頂きます。そうすると、手間取らず安産させていただき、後産も楽に出してくださるご守護を頂けます。 三包み目は「治め、清めの御供」。出産後、座を改めて頂きます。この時、無事お産を済まさせていただいたお礼と、妊娠による体調の乱れを治め、あとあと清めていただき、順調に回復するようお願いを申し上げます。

ページの先頭へ