私の幸せな時間
思い返すと今までの人生の中でふしと思う出来事がたくさんあったように思います。進路のことや人間関係のこと、さらには自分にとって大切な人のことまで、心を切り替えないといけないなぁと思うふしがたくさんありました。そんな時、いつも自分の中で心が落ち着き、気持ちが明るくなれる方法がありました。
それは、芯のある父や信仰熱心な母、仲良しな兄弟姉妹、学生時代からの仲間、本部の学生担当委員会で共にご用をしている方々に話を聞いてもらったり、その人たちと一緒に楽しく過ごしたりすることです。
自身の悩みを言うのは自分の弱さをさらけ出すようで、なかなか誰にでも言えることではないかもしれません。しかし、この人にならと思う人に話せたなら心が楽になりますし、気の知れた人たちとの時間は、私にとってすごく幸せな時間です。
また、神様と向き合うこと、特におつとめを勤めることやおやさまのひながたを感じることでも心が落ち着き、おのずと自分自身が何を考え、どうしたらいいのかが見えてくる気がします。それから、時間や金銭のお供えをすることで、きっと神様がいいようにしてくださると安心することができます。
今後の糧にできるよう
諭達第四号に
「水を飲めば水の味がする」と、どんな中でも親神様の大いなる御守護に感謝して通ることを教えられ、また、あるときは、
「ふしから芽が出る」と、成ってくる姿はすべて人々を成人へとお導き下さる親神様のお計らいであると諭され、周囲の人々を励まされた。
『諭達第四号』
こういった教えが素直に心に治まるのも、すてきな家族や仲間がいてくれるのも、人のために動けるご用を与えていただけるのも天理教を信仰しているおかげだと思います。
また、
「人救けたら我が身救かる」と、ひたすらたすけ一条に歩む中に、いつしか心は澄み、明るく陽気に救われていくとお教え下された。
同上
とあるように自分のことは横に置いて人の相談に乗ったり、人に尽くしたり、人のたすかりを願ったりするうちに自分のことで悩む時間が減り、心が晴れて自分自身がたすけていただいてると感じます。
今はふしに出合うと「この先、今の自分のようにこんなに辛い思いをしている人のおたすけができるんだ」とうれしく思える時があります。
辛くて苦しいことでも神様から与えてもらったことだと受け止め、今、自分に与えていただいている健康な体や周りの方々、親神様のご守護に感謝して、今後誰かをたすけられるための心の糧にできるように喜んで通らせていただきたいと思います。