先生、こんにちは。
ヒカル君、こんにちは。
先生、今日もよろしくお願いします!
はい。さて、今日は『稿本天理教教祖伝逸話篇』の、一七「天然自然」に学ばせてもらいましょう。
今回のポイント
(1)「天然自然に成り立つ」というのは、「天の理」に沿っておのずと成ってくるということ。
(2)親神様・教祖は将来起きてくるであろう出来事や世界の動きを、すべて見抜き見通しておられる。
一七 天然自然
教祖は、「この道は、人間心でいける道やない。天然自然に成り立つ道や。」
と、慶応二、三年頃、いつもお話しになっていた。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』 24ページ
先生、教祖は「人間心でいける道やない」と仰っておられますが、「人間心」とは具体的にどんなことを指すのですか?
人間が「ああしよう。こうしよう。ああしたい。こうしたい」と、頭で考えるようなことではないでしょうか。
「ああしよう。こうしよう。ああしたい。こうしたい」と、いくら自分の頭で考えても思い通りにはいかないってことですか?
そうですね。ただし、教祖は「この道は」と仰っていますね。
ちょうどこの頃、おやしきでは、僧侶や山伏、近隣住民などから反対や攻撃、嫌がらせを受けるようになっていました。
そこで、慶応3年、秀司様は京都の吉田神祇管領(吉田神社)からの公認を願い出ます。
先生、京都の吉田神祇管領(吉田神社)からの公認ってどういうことですか?
京都の吉田神社は、室町時代からある神社ですが、幕府や朝廷によって特別な地位を与えられていました。いわば“神社界の家元”的な形で全国の神社、神職をその支配下に置いていたんです。
なるほど。その公認を得れば反対や攻撃、嫌がらせがなくなるってことですね!?
ある程度の効果はあっただろうと思います。
しかし、このことについて教祖は「吉田家も偉いようなれども、一の枝の如きものや。枯れる時ある。」と仰せられていたということです。
こうして秀司様は、絶大な権威を有していた吉田神祇管領の公認を得ることとなりますが、なんとその3年後の明治3年、教祖が「枯れる時ある。」と仰せられた通り、200年以上の間、権勢を誇った吉田神祇管領は明治政府によって廃止されることとなったのです。
えっ!? 3年後になくなっちゃったんですかっ!?
そうです。このように、人間がいくら「ああすればうまくいくだろう。こうした方がよかろう」と焦ってあがいてみても、成るか成らないかは、「それが成ってくるための理が十分にあるかどうか」「旬が来ているかどうか」というように、「天の理」に沿って天然自然に成り立ってくるものなのだから、焦らずコツコツとみ教えを実践して、理の伏せ込みに励むことが大切だとお示しくださっているように感じます。
「天然自然に成り立つ」っていうのは、単に「自然と成ってくる」ということではなくて、「天の理」に沿って自ずと成ってくるっていうことだったんですね。