親神様の懐の中で
「信仰のおかげで安心感があります」
なぜ信仰しているのかと聞かれると、私はこう答えます。
近年、青年会で「かしもの・かりもの」の教えを学ぶ中で「この世は神のからだ」ということを意識するようになりました。特におつとめで親神様と向き合う時、なんだか親神様の懐の中に包み込まれているような感覚を覚えて、ぬくもりと安心を感じています。
当然、日々の生活やおたすけではさまざまなことが起こりますが、親神様と向き合う中で「絶対に大丈夫だ」という気持ちになれるのは信仰のおかげです。
恐怖信仰を変えた陽気な青年
私は教会で生まれ育ちました。無理に信仰を強要された記憶も無く、おぢばで過ごした学生時代も楽しく信仰していたように思います。
しかし大人になるにつれて「信仰していないと身上になる」「にをいがけに歩かないと助からない」という思考になっていきました。
これは自分で教理を勉強してたどり着いた思考でも、実体験を通して確信した思考でもありません。「〇〇さんが言うからそういうものなんだ」という単純な思考だったのです。
そのため、行動に心が追いつかず「恐怖信仰」のようになっていた気がします。
悶々(もんもん)と信仰していた時期に、青年会ひのきしん隊で、ある青年と出会いました。
彼は、毎日「伊勢谷さん、この教えはありがたいですね」「お道はサイコーですね」「もうね、天理教は明るい未来しかないですよ」と、信仰に前向きな言葉を笑顔で言ってきました。
そんな、明るく陽気な彼と毎日話をする中で、だんだんと私の心が切り替わっていきました。
「そうか、この教えはありがたいんだ。苦しむためのものではないんだ」。そう思えるようになりました。
「信仰していて良かった」
現在、私は青年会の仲間と「かしもの・かりもの」について学び、顔を合わせるたびに信仰の喜びを語り合っています。学び、語り合うたびに親神様をより身近に感じられるようになりました。
そして日々、大きな安心感とぬくもりに包まれています。これは誰に言われたわけでもなく、自分自身で心に刻めた感覚です。
最近は本当にありがたいことばかりで、驚くようなご守護や親神様のお導きを頂く毎日です。
今は心の底から思います。「信仰していて良かった」と。