永尾 篤夫「心が決める、ツールの使い方」

もくじ

道具をどのように使うか

数年前、私は高校生向けの研修会のカウンセラーをしていました。振り返りの時間に、ある高校生がこう言ったことを、今でも強く覚えています。

「私には信仰心がありません。」


私は学生時代に留学を経験し、現在はハワイにある天理教ハワイ伝道庁で務めています。学生時代に学んだことを活かしながら御用に携わることができるのは、とても有り難さを感じています。

そんな私ですが、日々強く感じていることがあります。それは、英語は「ツール」であるということです。「ツール」とは道具のことですが、どんなに優れた道具であっても、使い手次第で結果は大きく変わってしまいます。

第43回 天理教青年会総会において、二代真柱様は次のようにお話しくださいました。

青年会のあらきとうりようたる50年の歴史のうちで、前半の事柄はまず戦争ということによって坐折ざせつした。私はかように思っておるのであります。否我々の心の未熟さから、単に学校を作り、印刷機を備えたならば、それで海外に道がつくものと、その用意が出来たものと考えた心の甘さといいますものを、お知らせいただいたものと思うのであります。(中略)世界に飛び出すよりも、最初に必要であったことは各自各自の胸を開くことであったのである。

真柱訓話集 第二十七巻 194頁~195頁

このお言葉に触れてから、私は、どれだけ便利な道具を使っても、どれだけ技術を磨いても、それを扱う私たち自身の成人が欠かせないのだということを、忘れないようにしています。

言葉は、相手を優しく包み込むこともできますし、反対に傷つけてしまうこともあります。英語という「ツール」を使う私は、その道具をどのような心で使っているのかを、日々問い直さなければならないと感じています。

自分の心を磨く努力

ここで、冒頭の高校生の言葉に戻りたいと思います。

「私には信仰心がありません」

もしかすると、その言葉の裏には、「どう信じたらいいのかわからない」「何を拠り所にしたらいいのかわからない」という思いがあったのかもしれません。

信仰心とは、突然身につくものではないと思います。日々の中で自分の心と向き合い、人を思いやり、神様を求める。そうした積み重ねの中で、少しずつ培われていくものではないでしょうか。

だからこそ若い時に、「自分には信仰心がない」と感じてしまうのは無理もないことなのかもしれません。大切なことは、学校や職場で知識や技術という「ツール」を身につけると同時に、私たち自身の心の成人にも取り組まなければならないということです。

学んだことをどのように使うかは、自分次第です。

そして、その使い方を決めるのは、他でもない自分の「心」です。

これからも私は、与えられた「ツール」を大切にしながら、それ以上に、そのツールを使う自分自身の心を磨く努力を重ねていきたいと思います。

では、どのような心を目指せばよいのでしょうか。その問いの答えを、自分自身で教えの中に探していくことこそが、信仰へとつながる確かな一歩になると、私は信じています。

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