三四「月日許した」

ヒカル

先生、こんにちは! 今日もよろしくお願いします。

ハルカ

先生、こんにちは!

先生

ヒカルくん、ハルカちゃん、こんにちは。よろしくお願いします!

ハルカ

先生、〈Happist〉がリニューアルされましたね。
デザインがおしゃれで、私すごく好きです!

先生

そうですね。僕たちも頑張っていかないとね!
それでは、今日は『稿本天理教教祖伝逸話篇』の、三四「月日許した」に学ばせてもらいましょう。

今回のポイント
「をびや許し」で安産のご守護を頂くためのただ一つの条件は、親神様のご存在とお働きを「信じて決して疑わないこと」。

三四 月日許した

明治六年春、加見兵四郎(かみひょうしろう)は妻つねを娶(めと)った。その後、つねが懐妊した時、兵四郎は、をびや許しを頂きにおぢばへ帰って来た。教祖は、

「このお洗米を、自分の思う程持っておかえり。」

と、仰せになり、つづいて、直き直きお諭し下された。

「さあ/\それはなあ、そのお洗米を三つに分けて、うちへかえりたら、その一つ分を家内に頂かし、産気ついたら、又その一つ分を頂かし、産み下ろしたら、残りの一つ分を頂かすのやで。
そうしたなら、これまでのようにもたれ物要らず、毒いみ要らず、腹帯要らず、低い枕で、常の通りでよいのやで。すこしも心配するやないで。心配したらいかんで。疑うてはならんで。ここはなあ、人間はじめた屋敷やで。親里やで。必ず、疑うやないで。月日許したと言うたら、許したのやで。」

と。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』 55ページ
ハルカ

先生、これは「をびや許し」のお話ですね。

ヒカル

先生、ずっと気になっていたんですが、そもそも「をびや許し」の「をびや」って、どういう意味なんですか?

ハルカ

あ、私も気になってました!

先生

「をびや(おびや)」は帯屋と書かれることもありますが、「うぶや」(産屋)の発音が変わった言い方ではないかと考えられています。

ヒカル

「産屋」ってなんですか?

先生

江戸時代の妊婦さんは、出産が近くなると一定の期間、特別に設けられた小屋や産室、つまり「産屋」に隔離されました。
それは、出血を汚れと考える「産の忌み(さんのいみ、うぶのいみ)」という概念があったためです。
また、「汚れが火を通して移る」と考えられていたため、食事の煮炊きも家族とは別にされました。
この期間を「おびや」と呼ぶ地域もあるそうです。

ハルカ

えー、ひどい! なんかかわいそうですね。

先生

そうだね。この頃は、医療技術が今のように発達していなかったので、母子共にお産で命を落とす人が少なくありませんでした。
だから、出産は女の大役(厄)と考えられていて、腹帯(はらおび・ふくたい)やもたれ物、毒忌みなど、さまざまな風習が守られていたんです。

ヒカル

へー、知りませんでした!
ついでに聞きますが、腹帯、もたれ物、毒忌みについても教えてください。

先生

当時の出産は座った状態で行われましたので、布団などを折り重ねて妊婦さんがもたれられるようにしていました。
これが「もたれ物」で、天井からは妊婦さんがつかまるための「産綱(うぶづな)・力綱(ちからづな)」という綱も垂らされていたんです。

ハルカ

なるほど。だから「もたれ物」なんですね。

先生

「腹帯」は今でも残っている風習ですが、妊婦さんのお腹に巻く帯のことです。
妊娠5カ月目の最初の「戊の日」に安産を祈願してお腹に帯を巻く風習です。
また、安産するために胎児が大きくなり過ぎないように締め付ける役割もあったようです。
「毒忌み」は「妊娠中にあれを食べると胎児に不具合を及ぼす」といった言い伝えや迷信の類いが強く信じられ、そういう食材が避けられていたようです。

ハルカ

なるほど。よく分かりました。
当時は医療体制が整っていなかったから、無事に子どもを産むために、あれこれと必死だったんですね。

先生

そういうことですね。

ヒカル

教祖が「これまでのようにもたれ物要らず、毒いみ要らず、腹帯要らず、低い枕で、常の通りでよいのやで。」って仰っているのは、そういう出産にまつわる風習はすべて必要ないって仰っているんですね?
つまり、産屋に隔離する必要もないと仰っているんですか?

先生

そうですね。「常の通りでよい」と仰っていますからね。

ハルカ

それで安産できるなら、当時の女性にとってはすごくありがたかったでしょうね。
まさに、出産革命ですね!

先生

本当ですね。だから、この「をびや許し」の評判が広まって、たくさんの人が「おやしき」へ訪ねて来るようになったんです。

ヒカル

なるほど。加見兵四郎さんもその一人なんですね。

先生

このお話で一番大事なポイントは、教祖が「すこしも心配するやないで。心配したらいかんで。疑うてはならんで。」と仰せられているところです。
「をびや許し」は、「身持ちなりの御供」「早めの御供」「治め、清めの御供」という3包みの御供(ごく)を頂くだけで、病気のお願いの時のように心定めや心遣いのお詫びをする必要もありません。しかし、ただ一つの条件として「信じて決して疑わないこと」をお示しになっています。

ハルカ

信じて決して疑わないこと。先生、それはなぜですか?

先生

教祖が「ここはなあ、人間はじめた屋敷やで。親里やで。」と仰せられているように、教祖が一番お伝えになりたかったことは、親神様こそが人間創造の元なる親であり、この屋敷こそが、その元なる場所であるということです。
その証拠としてお許しくださったのが「をびや許し」ですから、親神様のご存在とお働きを信じてもたれ切ることが求められるのです。

ハルカ

なるほど~。「をびや許し」は、元なる親の証拠だったんですね。

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