一九八「どんな花でもな」

ヒカル

先生、ハルカちゃん、こんにちは。

ハルカ

こんにちは。今日もよろしくお願いします!

先生

ヒカルくん、ハルカちゃん、いよいよ今回で最終回となります。
二人のおかげで、とても充実した時間となりました。ありがとうございました。
さて、最終回の今日は『稿本天理教教祖伝逸話篇』の、一九八「どんな花でもな」に学ばせてもらいましょう。

今回のポイント
「頑張っているのに、なかなか思うようにいかないなぁ」と悩むような日もあるけれど、今の姿に一喜一憂して心を曇らすよりも、「焦らずに前を向いて、先を楽しみに勇んで通れ」との励ましのお言葉。

一九八 どんな花でもな


ある時、清水与之助(しみずよのすけ)、梅谷四郎兵衞(うめたにしろべえ)、平野トラ(ひらのとら)の三名が、教祖の御前に集まって、各自の講社が思うようにいかぬことを語り合うていると、教祖は、 「どんな花でもな、咲く年もあれば、咲かぬ年もあるで。一年咲かんでも、又、年が変われば咲くで。」 と、お聞かせ下されて、お慰め下された、という。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』321ページ
ヒカル

先生、お話に出てくる清水与之助、梅谷四郎兵衞、平野トラっていう三人の先生方は、清水先生がのちの兵神大教会の初代会長、梅谷先生がのちの船場大教会の初代会長、平野トラ先生が郡山大教会の初代会長夫人になられる方々ですよね?

ハルカ

ヒカルくん、すごい!

ヒカル

まぁ、有名な先生方だからね!

先生

ヒカルくん、その通りです。
平野楢蔵(ひらのならぞう)・トラご夫妻がお屋敷の常詰になられたのが明治19年の夏の終わり頃ということですので、このお話はその前後のお話ではないかと思われます。
当時、各地の講社で活躍されていた先生方が、教祖の前で「なかなか講社が思うようにいきませんなぁ」というように口々にボヤかれていたということではないでしょうか。

ハルカ

教祖の前でボヤくなんて面白いですね。

先生

本当にボヤかれていたかどうかは分かりませんが、この当時は官憲(かんけん)の取り締まりが非常に厳しくなっていた時期で、お屋敷の門前には巡査が立って、参拝者を追い返したり、脅かしたりすることもあり、自由な信仰を妨げていました。
また、お屋敷のみならず各地の講社でも官憲の取り締まりや世間からの反対・攻撃・嫌がらせが激しくなっていて、布教するにも各地の先生方は大変なご苦労をなされていたようです。

ヒカル

教祖やお屋敷の先生方も、何度も警察に拘留されていますもんね。

先生

そうなんです。各地の先生方も言い掛かりを付けられては監獄に収監されたり、講社の人々が集まるための寄所を取り払い処分にされたりして妨害を受けていたようです。
それがゆえに信仰を諦める人も少なくなかったことでしょう。
おそらく、そんな状況の中で、当時の先生方からすれば「こんなことでは教祖に申し訳ない」というような思いで、頭を悩めておられたことだろうと思います。

ハルカ

なるほど。そこに教祖が「どんな花でもな、咲く年もあれば、咲かぬ年もあるで。一年咲かんでも、又、年が変われば咲くで。」とお慰めくださったということですね。

先生

考えてみれば、私たちも「頑張っているのに、なかなか思うようにいかないなぁ」と悩むような日もありますが、長い人生の中には、旬を得る時もあれば、旬を逃すこともあります。
また、追い風が吹くような日もあれば、向かい風の日もある。
嵐の日だってあります。
けれども、日が変わり、年が変われば、やがてまた旬が訪れるように状況は年々刻々と変わっていくのだから、今の姿に一喜一憂して心を曇らすよりも、「焦らずに前を向いて、先を楽しみに勇んで通れ」とお仕込みくださっているように感じます。

ヒカル

なるほど。嵐の後には、空気も澄んで、綺麗な虹が掛かりますもんね。

ハルカ

なんか、カッコイイこと言ってる~。
でも、今がダメでも焦らずに、いつか花が咲く日を楽しみに、今の時間を大切に通ることが大事なんですね。

ヒカル

なんだか、前向きな気持ちになれました!
教祖のお言葉はありがたいですね。


先生

読者の皆さん、これまで記事を読んでくださり、ありがとうございました。
少し難しい内容だったかもしれませんが、逸話の中の教祖のお言葉は、私たちを陽気ぐらしへと導いてくれる道標です。
これからも、できるだけ親しんで、教祖のみ教えを生活の中に織り込んでいってもらいたいと思います。
それでは皆さん、充実した学生生活をお送りください。
さようなら!

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