勝村宏樹「靴下の話」

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靴下の話

最近の若い人は衣替えをするのかしないのかは分かりませんが、間もなく、長袖はもちろん足元も少し厚手の靴下が恋しい時期に突入します。私は靴下について少し思い出があります。小学生の頃、私たちきょうだい(上から3番目まで)は、どんなに寒かろうが、父から靴下を履かせてもらえませんでした。

靴下を履かないと夏は蒸れて足が臭くなるし、冬は寒くて霜焼けにもなるので何度も履かせて欲しいと懇願しましたが、父はかたくなに首を縦に振ってくれませんでした。

その理由は「靴下を履くとアホになる」ということでした。意味が分かりません。正直、多少アホになってもいいので靴下を履かせてほしいと思っていました。そんな理由で私たちのきょうだいは、小学生の頃は素足で過ごすことになりました。

まだ私と弟は多少足が臭かろうと男なので何とかなります(他に足の臭い男子もたくさんいるため)。ですが、姉はかわいそうでした。小学生でも5、6年生の女子ともなれば多少〝恥じらい″というものが出てきます。夏には靴の中が蒸れて足が臭くなれば気にするだろうし、冬になればなったで、「氷が張るような寒さでも私は靴下をはかなくても平気」というような、〝わんぱくさ″を出さなければならないからです。

子どもたちのそんな悩みもつゆ知らず「靴下を履くとアホになるからアカン」と許可はおりません。じゃあ「塾に行きたい」と言うと「アカン」と言う。意味が分かりません。

そんな私たちでしたが希望がありました。それは中学に上がると「白靴下を履かないといけない」という校則があったからです。これには父も屈服せざるをえません。

中学には男子は丸刈り、女子はおかっぱ頭という同級生のほとんどが悩んでいた校則がありましが、私は靴下を履ける喜びの方が勝り、抵抗なく丸刈りにすることができました。

今でもきょうだいが集まると靴下の話題になりますし、一人で車を運転している時などに、「父はなぜあそこまでかたくなに靴下を履かせなかったのか?」ということをお道の教えに照らし合わせて考えることがあります。

思い浮かんだ答え(1)

私に中学に上がって靴下を履けた時の喜びを経験させ、こんなささいなことでも、これだけ喜ぶことができるということを教えたかった。

思い浮かんだ答え(2)

父には「靴下を履くとアホになる」という考えが根本にあるため、「子どもが靴下を履いてアホになってはかわいそうだ」という親心から、子どもには理解されなくても心を鬼にして靴下を履かせなかった。


という二つの答えに至りました。まさに(2)の方は親神様(親)と人間(子)の関係ともいえます。

親神様(親)は、人間(子)が間違った方へ向かってはかわいそうだと思い、人間(子)にとっては都合の悪く、理解できない嫌なことでも心を鬼にして見せざるを得ません。

人間(子)にとっては都合の悪い「なぜ私がこんな目に合わなければいけないの?」というような理解できない病気や事情を見せられることがありますが、それは人間(子)を苦しめるためではなく、「すべては人間(子)が間違った方へ行かないようにするための親心である」と理解できます。

ただし、父にそこまでの思いがあったのか、果たして靴下を履かなかったことでアホになっていないのかは定かではない。

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