先生、ハルカちゃん、こんにちは。
こんにちは。今日もよろしくお願いします!
ヒカルくん、ハルカちゃん、こんにちは。今日は『稿本天理教教祖伝逸話篇』の、一三〇「小さな埃は」に学ばせてもらいましょう。
今回のポイント
神様のお話を「取り次ぐ」というのは、教祖に代わって「子どもである人間をたすけたい」という親神様の親心を伝えさせていただくこと。
一三〇 小さな埃は
明治十六年頃のこと。教祖から御命を頂いて、当時二十代の高井直吉(たかいなおきち)は、お屋敷から南三里程の所へ、おたすけに出させて頂いた。身上患いについてお諭しをしていると、先方は、「わしはな、未だかつて悪い事をした覚えはないのや。」と、剣もホロロに喰ってかかって来た。高井は、「私は、未だ、その事について、教祖に何も聞かせて頂いておりませんので、今直ぐ帰って、教祖にお伺いして参ります。」と言って、三里の道を走って帰って、教祖にお伺いした。すると、教祖は、「それはな、どんな新建ちの家でもな、しかも、中に入らんように隙間に目張りしてあってもな、十日も二十日も掃除せなんだら、畳の上に字が書ける程の埃が積もるのやで。鏡にシミあるやろ。大きな埃やったら目につくよってに、掃除するやろ。小さな埃は、目につかんよってに、放って置くやろ。その小さな埃が沁み込んで、鏡にシミが出来るのやで。その話をしておやり。」
と、仰せ下された。高井は、「有難うございました。」とお礼申し上げ、直ぐと三里の道のりを取って返して、先方の人に、「ただ今、こういうように聞かせて頂きました。」と、お取次ぎした。すると、先方は、
『稿本天理教教祖伝逸話篇』219ページ
「よく分かりました。悪い事言って済まなんだ。」と、詫びを入れて、それから信心するようになり、身上の患いは、すっきりと御守護頂いた。
先生、お話の中に「教祖から御命を頂いて」とありますが、直吉さんは、教祖(おやさま)からのご指示を受けて、おたすけに行かれたんですか?
そうだと思います。
では、「身上患いについてのお諭し」って、どんなお話をされたのでしょうか?
この頃のお話といえば、十全の守護のお話、かしもの・かりもののお話、八つのほこりのお話などではないかと思います。
そのお話を聴いた相手が怒ってしまったってことですか?
怒ったかどうかは分かりませんが、相手の方はお話の内容に対して納得がいかず、反論されたのだと思います。
そこで、直吉さんは、「今直ぐ帰って、教祖にお伺いして参ります。」と言って、3里の道を走って戻ったんですね。
3里の道っていうのは、どのくらいの距離なんだろう……?
1里が約4キロメートルですから、3里は12キロメートルほどの道のりだと思います。
ここで教祖は、高井先生に対して「ほこり」についてのお話をされていますね。
そのお言葉を聞いて、直吉さんはすぐにまた約12キロメートルの道のりを引き返して、「ただ今、こういうように聞かせて頂きました」って相手に伝えたんですね。
往復24キロ!!
なんだか、とっても心が真っ直ぐな方なんですね。
そうなんです。高井直吉先生は、分からないことがあると何でも分かるまで質問をする、真っ直ぐな方だったので、お屋敷の先輩から「お前はれんこん堀りみたいな奴じゃ」と言われて親しまれていたそうです。
それにしても、12キロの道のりを行ったり来たりするなんて、なかなかできることじゃないことですよね。
僕だったら思わず適当にごまかしちゃうかも。
そうですね。神様のお話も、おさづけと同様に「取り次ぐ」と言います。
私なりの悟りなのですが、この逸話の高井先生のように、教祖に代わって「子どもである人間をたすけたい」という親神様の親心を伝えさせていただくから「お話を取り次ぐ」というのだと思います。
ですから、神様のお話を取り次がせていただく時には、自分が考えた話をするのではなく、高井先生のように、教祖から聞かせていただいたお話を、教えていただいた通りに、そのまま取り次がせていただくという姿勢が大切なのだと思います。
なるほど。だから、お話も「取り次ぐ」って言うんですね。
それなら、お話を取り次ぐために、教祖がどんなことを仰っておられたのかを、逸話篇でしっかり学ばないといけませんね!