心の向き
私が毎日を過ごす中で、心に置いて大切にしていることをお話ししたいと思います。以前、修養科に行かせていただいた時に、「心の器」についてのお話を聴かせていただきました。
「親神様のご守護は常に休みなく私たちにお与えくださっています。分かりやすく例えると、ご守護が雨のように常に降り注いでいるような感じで、より多くのご守護を感じ取れるかは私たち次第です。
私たちは心に器を持っています。その器が神様の方を向いて、しっかりとご守護を受け取ることができていますか? あっちやこっちの方を向いていたり、傾いていたり、ましてや裏返しになっていませんか? まずは、しっかり心から神様に向き合い、器の向きをしっかり正す必要があります。
そして、その器はどんな形をしていますか? 豆皿のように小さかったり、お皿のように浅かったり、大きく深くても入り口が狭かったり、穴が空いてしまったり……器は私たちの日々の通り方や、信仰で作られますよ。」
という、お話です。
皆さんも、「心の器」のお話は聞いたことがあると思います。私も何度も聞いたことがあります。しかし、この先生のお話から、初めて「心の器」の話を聞いた時のように、たくさんの気付きをもらいました。
一生かけて作っていく物
天理教のお話だけではなく、器という言葉は一般的にも器の広さや器量という意味で、使われたりもしますよね? どちらも似た意味合いがあると思います。
しかし、「器の向き」という捉え方は信仰があるからこそだと思います。信仰があるからこそ向かう道があり、どのようにして神様と向き合うのか、お話を聞いて改めて感じることができました。
私は「心の器」は一生かけて作っていく物だと思っています。その時の感情や出会う人たちによって形を変えながら、「まだまだ」という気持ちで満足することなく、完成することなく、楽しむ気持ちを持って。
自分の「心の器」を作りながら、まずはしっかりと向きを神様に合わせることがとても大切なのではないでしょうか?
その時々のどんな器でも、向きが合っていればご守護を感じることができ、喜びや感謝も器にたまっていくのかなぁと思います。
喜びや感謝が増えると、毎日の生活でも少し優しくなれたり、心に余裕ができたりします。
ぜひ、学生会活動や教会につながり、そのたびに心の向きを確かめ、正してみてください。おぢばに帰って、親神様に直接向き合うこともオススメです!
この先、どんな状況・立場になっても、喜び楽しみながらこの道を歩んで行けたらなぁと思います。