最終回「おやさまを求めて」

01. たすけ一条の親心

おやさまが現身を隠されたと聞かされた人々の衝撃は、いかばかりだったでしょうか。

『稿本教祖伝』には、この時の人々の心情を、「立って居る大地が砕け、日月の光が消えて、この世が真っ暗になったように感じた」と表現されていますが、文字通りこの世の終わりのように感じられたことでしょう。

一同は、茫然ぼうぜん自失となりながらも、内蔵の二階で飯降伊蔵先生を通しておさしづを伺われました。すると、次のようなお言葉がありました。

 「さあ今からろっくの地にする。これまでに言ってきたことは、実の箱に入れておいたが、いよいよ親神が扉を開いて出て、表へ現わしていく。子供可愛いゆえに、をやの命を二十五年先の命を縮めて、今からたすけをするのである。その神の働きをしっかりと見ていよ。今までとこれからと、どう違ってくるかしっかりと見ていよ。(略)これまでから子供にやりたいものもあった。なれども、思うようにやることができなかった。これから先、だんだんにその理を渡そう。」(大意)

前日に「扉を開く」と仰せられたのは、親神様がいよいよ広くたすけに出られるとの意でありました。そしてそのために、おやさまは、これからはお身上の制約なく、世界中を駆け巡ってたすけをすると仰せくだされたのです。しかも、これまでからも人々に渡してやりたいと思いながら、なかなか渡せずにいたもの、即ち「さづけの理」をだんだんに渡していく、と仰せられました。

一同は、このお言葉を聞き、おやさまが現身をお隠しなるという大変な事情を見せられたのも、親神様の世界一れつをたすけるための深い深い思召であったことに気づかされました。そして、お姿を拝せぬ寂しさはありつつも、これからも変らず、むしろ、どこにいてもご存命のお働きを頂戴できるのだと、胸を撫でおろすとともに、大きな安心と頼もしさを感じさせていただいたのでした。

思えば、おやさまは、月日のやしろにお定まりになられた天保9年以来、50年の長きにわたり、親神様のお心のままに、この道をお付け下さいました。

その道中は、決して平坦ではなく、貧の底に落ち切られ、周囲には反対され、警察などの干渉圧迫を受けながらの険しい道すがらでありましたが、おやさまは、ひたすら一れつの人間をたすけ上げたいとの子供可愛い一条の親心でお通りくだされ、根気よく人々を導かれました。

このおやさまのお心は、現在も何ら変わりはありません。

02.おやさまはご存命

「さあ/\これまで住んで居る。何処へも行てはせんで、何処へも行てはせんで。日日の道を見て思やんしてくれねばならん。」

(おさしづ 明治23年3月17日)

と、おさしづにありますように、おやさまは、永久とこしえに元の屋敷にお留まり下され、日夜をわかたず、たすけ一条の上にお働きくだされています。

教祖殿で、おやさまの御前に座らせていただくと、いつもじんわりと心に温かみを感じます。

つらい出来事や悩み事も、ありのままをご相談申し上げると、不思議と心が治まり、前を向く力をいただけます。

また、身上に悩みを抱えておられる方に、おさづけの理を取り次がせていただくときには、どこにいても、そこにおやさまがおいでくださり、撫でてくださるような感覚を覚えます。

お見せいただく不思議なご守護はいうまでもなく、いつもどこでも、おやさまのご存命のお働きを感じさせていただけるのは、常におやさまが私たちを親心いっぱいに抱きかかえてくださっているからだと思います。

この温もりに触れる喜びこそ、おやさまがご存命であるとの確かな実感であり、この道を通る私たちの原動力であると思います。

03.おやさまを求めて

明治20年以後、お道は、ご存命のおやさまのお導きによって、歴代の真柱様を中心に、その歩みを進めてきました。

特に10年ごとのおやさまの年祭には、それを節目として全教が一手一つにたすけ一条の活動に取り組み、少しでも心の成人をさせていただき、おやさまにお喜びいただこうと励んできました。

そうした先人の、おやさまを想い、そのお心に近づこうとする努力の上に、この道は今日まで伸展してきたのです。

親神様の思召される世界一れつの陽気ぐらしには、まだまだ途方もない時間がかかるだろうと思います。だからこそ、大切なことは、この道を通る一人ひとりが、おやさまの教えを正しく学び、真っすぐに実行し、そしてしっかりと繋いでいくことだと思います。

私たち一人ひとりが、おやさまの教え子としての自覚を持って、明るく勇んで陽気ぐらしへの歩みを進めていくことを、おやさまは楽しみにして下さっています。

これからも、おやさまのお心を求めて、ともに歩ませていただきましょう。

今回のまとめ

プリントして学ぼう

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参考年表

1798年
4月18日 教祖(中山みき)誕生

大和国山辺郡西三昧田(現・天理市三昧田町)に前川半七・きぬの長女として生まれる。

1810年
中山家にご入嫁

9月15日、教祖(13歳)、庄屋敷村 中山善兵衛(23歳)に嫁ぎ、中山家の人となる。

1838年
教祖「月日のやしろ」に定まる(立教)

10月26日(陽暦12月12日)朝五ッ刻(午前8時)、立教。教祖「月日のやしろ」に定まる。その後、約3年内蔵にこもられる。

1840年
「貧に落ち切れ」の神命により、家財道具などを施される

親神様の思召のままに、ご自身の持ち物だけでなく、食べ物、着物、金銭など、次々と困っている人々に施していかれる。

1853年
善兵衞様のお出直し・こかん様の神名流し・母屋の取り壊し

善兵衞様のお出直し(66歳)、末娘のこかん様が大阪へ神名流し、また母屋の取り壊しが行われる。

1854年
をびや許しの始め

11月、三女・おはる様の妊娠、出産を機に、安産の許しである「をびや許し」を出されるようになる。

1864年
つとめ場所の普請

本席 飯降伊蔵が入信し、妻の身上を救けていただいたお礼につとめ場所の普請が始まる。

1864年
大和神社のふし

棟上げ直後に予期せぬ「大和神社のふし」が起き、日の浅い信者は、おやしきへの足が止まってしまう。

1861~1865年頃
お屋敷へ通う人が増えてくる

不思議なたすけを頂いた人々が増えゆくにつれて、おやさまの教えをさらに詳しく聞こうと、お屋敷へ足繁く通う人も出てくる。

1866年
「あしきはらひ…」の歌と手振りをお教え頂く

この年から時旬や人々の成人に応じて、順を追っておつとめの歌と手振りをお教え頂く。

1869年
おふでさき ご執筆

明治2(1869)年から明治15(1882)年、おやさまは親神様の思召のままに、おふでさきをご執筆なされる。

1869年
秀司様 ご結婚

明治2(1869)年、おやさまのご長男 秀司様がご結婚なされる。

1872年
75日間の断食・別火別鍋を仰せ出される

断食や別火別鍋とを通じて、おやさまは月日のやしろであられるとの理を示される。

1872年
高山布教

政治権力を持ち、財力を持ち、身分地位の高い人々のことを「高山」と呼ばれ、高山布教が進められる。

1874年
赤衣を召される

12月26日に、初めて赤衣をお召しになられ、着物、足袋や草履の鼻緒に至るまで、すべて赤色のものを身に付けられました。

1875年
ぢば定め

6月29日(陰暦5月26日)、おやさまは、かんろだいの「ぢば」を初めて示されました。

1875年
こかん様のお出直し

おやさまの五女としてお生まれになったこかん様が、9月27日にお出直しになられる。

1877年
女鳴物の三曲を教えられる

おつとめの女鳴物となる、琴、三味線、胡弓をおやさま御自らお教えになる。

1880年
天輪王講社の開筵

官憲からの干渉圧迫を逃れるため、地福寺の出張所という扱いでお屋敷に「転輪王講社」が設置される。

1881年
秀司様のお出直し

おやさまのご長男としてお生まれになられた秀司様は、4月8日、お屋敷にてお出直しになる。

1880年
眞之亮がお屋敷へ移り住む

眞之亮様は、明治13年、15歳の年にご生家の梶本家を離れ、中山家の跡継ぎとしてお屋敷で常住なされるようになりました。

1881年
かんろ台の石普請が始まる

かんろだいの石普請が始まりましたが頓挫し、翌年、警察が二段までできていたかんろだいを没収しました。

1880年頃
「こふきを作れ」とお命じになられ

明治13・14年頃から、おやさまは、お側の人々に「こふきを作れ」とお命じになられる。

1882年
度重なるふし

かんろだい建設の頓挫、蒸風呂・宿屋廃業、転輪王講社の解消など、さまざまな出来事が次から次へと現れました。

1874年〜1886年
17・8度の御苦労

明治7(1874)年から19(1886)年にかけて17、8度、警察署や監獄署に御苦労くださる。

1884年
教会設置運動

眞之亮を中心として、教会創立事務所の看板をかけて、積極的な活動を始める。

1886年
最後の御苦労

三十年来の寒さの中、おやさまは15日間にわたり櫟本分署に留置される。

1887年
49日間、最後のお仕込み

「つとめせよ」と仰る教祖とおつとめをためらう初代真柱様はじめ先人の先生方との問答

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