北村奈津子「回廊での出会い」

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先輩から学んだこと

私は、中学3年生の時に夏のこどもおぢばがえりでバラエティを見たことがきっかけで、ダンスに興味を持ち、天理高校第一部に入学しました。バラエティで見た先輩たちはキラキラしていて、とても楽しそうで、見ているこちらがわくわくしました。「こんなにも人を楽しませられる人に私もなりたい!」と思い、ダンス部に入部したことを覚えています。

私は真剣に練習に取り組みましたが、なかなかバラエティや大会のメンバーに選ばれませんでした。ある日、悔しくて、泣きながらOBさんに自分のどこがダメなのか聞いてみると「決してダメなわけではないよ。だけど、君より見に来てくれる人を喜ばせられる人が周りにはいるんだよ」とのことでした。

後日、人に喜んでもらえるにはどうしたら良いのか教祖に尋ねようと、部活が休みの日にご本部へ参拝に行きました。

おつとめを終えて、三殿を回ろうと回廊を歩いていたとき、1人の青年さんに出会いました。その方はとても陽気な声でよろづよ八首を奉唱しながら回廊拭きひのきしんをされていました。

ひのきしんをしてくださっている姿を見て「ああ、ありがたいなぁ」と、自然と感謝の気持ちが込み上げてきました。

そして、すれ違いざまにその青年さんの顔を見た私は驚きを隠せませんでした。その方は、一学年上の先輩だったのです。その先輩はダンスが上手なことはもちろんのこと、練習後も笑顔で率先して片付けをしたり、明るく声を掛けてくださったりと、とても尊敬している先輩でした。

その先輩が勇んでひのきしんをされている姿を見て、あの日のOBさんが言っていた言葉の意味を理解できたのです。

私は自分が目立って、周りの人に喜んでもらいたいという思いで練習をしていました。しかし、実際に前に出て踊っている人たちは、見にきてくれる人に楽しんでもらいたいという、相手に喜んでもらいたい気持ちで練習に励んでいたのです。

回廊で先輩の姿を見て、自分の中にあるかわい・・・のほこりや欲のほこりに気付くことができ、その日からダンス以外でも人に喜んでもらえるように行動しようと決めました。スリッパをそろえたり、困っている人に声を掛けたりと、小さなことから実践していきました。

日々の感謝

どんな辛い事や嫌な事でも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』144「天に届く理」

とあります。その日以来、私もなんでも神様が受け取ってくださるご用だと思って、行動するようにしました。

そうすることで自然と喜べる心を持てるようになり、メンバーに選ばれることにこだわることなく、楽しく練習に取り組むことができたのです。

あの時、教祖が回廊で出会った先輩を通して私に気付かせてくださったと思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。3年間の部活動を通して、陽気に過ごし日常に感謝して通る大切さを学ぶことができ、それは今の自分にもつながっています。これからもご用や仕事を務めるときは神様に喜んでいただけるように心がけていきたいと思います。

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