初めてのおさづけの取り次ぎ
私が大学2回生の時、バイト仲間のAさんから「お父さんが意識を失い、倒れて救急車で運ばれた」と連絡がありました。
教会長である父に相談すると、「すぐにおさづけをさせてもらいなさい」と言われました。しかし、当時の私はおさづけの取り次ぎの経験はなく、更に相手は天理教を信仰している家庭ではありませんでした。それでも私を頼って連絡をくれたのだから何とかしたいと、ハッピだけ持って搬送された病院へ向かいました。
着くとAさんが病室に案内してくれながら、「お父さんが、あんなにつらそうに、苦しそうにしているのに、何もしてあげられないのがつらい」と話してくれました。病室には家族・親族の方々が集まっており、私は天理教を信仰していて、おさづけという病たすけのお祈りがあることを説明し、人生最初のおさづけを取り次ぎました。
取り次ぎ方があっているのか不安でしたが、終わって拍手を打つと、Aさんのおばあさんが「今、息子の口がありがとうって動いた」と涙を流して喜んでくれました。
それから毎日、片道40分かけて病院に行き、おさづけを取り次ぎ、本部神殿でお願いづとめをしていましたが、Aさんのお父さんは意識を失ってから10日ほどで亡くなりました。
身上の回復は叶わず、私は申し訳ない気持ちになりましたが、毎日おさづけの取り次ぎに通わせて頂く中で、おばあさん、また「何もしてあげられないのがつらい」と言ったAさんの心は少し軽くできたのではないかな、今の自分にできることは精一杯できたのではないかなと思いました。

元一日の大切さ
この出来事を通して、自分がつらい、苦しい時も大変ですが、それよりも自分の大切な人や、命を懸けてでも守りたい人が苦しんだり、また、悩んだりしているときに、何もしてあげられないことが一番つらいのではないかなと思いました。
そう思うと、お道を信仰している私たちは、病気の人に直接おさづけを取り次ぐことができる。そばにいれなくても、おぢばに、教会に参拝してその人のたすかりを願うことができる。こんなにありがたいことはないと思います。
これからは、大切な人が苦しい時に、一緒に心を倒してしまうのではなく、その人のたすかりを願えるように信仰しよう、そして、親神様にお働きいただけるように、御守護いただけるように、精一杯神様の御用をつとめさせて頂こうと思いました。これが、私の信仰の元一日です。
私は、この信仰の元一日があるおかげで、自信をもって周りの人に信仰のすばらしさを伝えることが出来ます。この先、皆さんも、周りの人が苦しい時、その人のたすかりを願い、親神様にお働きいただけるよう、おぢばに、また、教会に心を繋ぎましょう。その先には、きっと皆さんの信仰の元一日があるはずです。

