一瞬の出来事
私が天理大学に通っていた頃の話です。
ある日、私はとても急いで自転車をこいでいました。私は焦っていて、かなりスピードが出ていたと思います。
その勢いのまま、左折をしようと角を曲がった時、向かいから来た自転車をこぐ男性と鉢合わせてしまいました。
私はワッと驚き、慌てて左にハンドルを切り、その男性をよけました。
男性も瞬時によけてくれたので、なんとかぶつからずにすれ違うことができました。
一瞬の出来事でした。
その一瞬、一秒を数えるほどもない間に男性は、ワッと驚きハンドルを切る私に向かって確かにこう言いました。
結構ですね!!!
とても大きな声でした。
とっさの出来事です。初めは怒鳴られたのかと思いました。男性の顔は笑っていました。ハッピを着ておられたので天理教の方だと思います。
私はすみません! とだけ頭を下げて、先を急ぎました。
ぶつからなくて、ありがたかったです。
ぶつからなくても、もしかしたらコケていたかもしれません。
そう思うとお互い怪我もなく、本当にありがたかったです。
私は後からこのことを振り返り、確かに「ありがたかったなあ」「結構だったなあ」と思いました。
でもその時は、驚く方が先で「ぶつかる!」としか思っていなかったと思います。
しかしあの男性は、猛スピードで角を曲がった私が突然飛び込んできたのとほぼ同時に、ご守護を感じていたわけです。私に怒っていてもおかしくない状況で。
きっと普段から「結構や、結構や」となんでも喜んで通っておられる方なんじゃないかと思います。
一般的にはつまらないような出来事でも「ありがたいなあ」「結構やなあ」と喜んで通っておられるからこそ、あのとっさの出来事でも感謝の言葉があふれ出てきたのではないでしょうか。
恐らく、仮にぶつかっていたとしても「結構ですね」と仰られていたと思います。
心のアンテナを立てて
私たちは日々、親神様のご守護いっぱいに生かされています。この身体も、世界も、人とのつながりも、数えきれないほどの親神様のご守護に包まれています。
でも私たちの目には、当たり前というフィルターがかかっているので、しっかりと自分で心のアンテナを立てなければ、なかなかそのご守護に気付くことができません。
「当たり前」を「ありがたい」に変えられるように、普段から親神様のご守護に目を向け、教祖(おやさま)を感じる努力をより一層させていただきたいものです。
そうすればあの男性のように、どんなことが起きても感謝があふれ出てくるのではないでしょうか。
そして、その感謝の気持ちが、また信仰の原動力となる。そう思います。
最後に、皆さんは安全運転を心掛けてくださいね。