須藤江平「感謝と喜びを信仰に」

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コロナ禍での寮生活

昨年度は、新型コロナウイルスの影響により生活環境が大きく変化することを余儀なくされました。緊急事態宣言により学校生活では、新学期の始まりが2カ月遅れ、感染予防対策のため学校行事や寮生活も例年通りに行うことはできませんでした。

そういった中での寮生活では、夜の点呼で全員そろって勤めていたおつとめも、「三密」を避けるために放送から聞こえる三代真柱様の地方を芯に各部屋から勤めることになり、普段とは違う勤め方となりました。

そのような生活が2カ月たったある日、全員でとはいかなかったものの、二手に分かれておつとめを勤められるようになりました。そこで私は「今のこの状況について何を感じていますか?」と、生徒たちに問い掛けてみました。

正直なところ、例年のように学校行事やクラブ活動ができないことに対する声があがると思っていました。

しかし、生徒たちからは「集まっておつとめを勤めることができてうれしい」「普段では当たり前だと思っていたことが、こんなにありがたいことなのだということに気付くことができた」という喜びや感謝の言葉がたくさん出てきました。

それを聞いた時、今のこの状況に対して不足の心を抱いていたのは、自分自身だったのだということに気付かされました。

感染予防対策による生活を続けるうちに、「どうしてこんなことになってしまったのか」「いつまでこのような生活を続けなくてはならないのか」ということばかり考えるようになってしまっていたのです。

私はこの状況の中でもこうして喜びを探して過ごしている生徒たちから「今があることのありがたさ」や「感謝の心の大切さ」を学ぶことができました。

日々、忘れないように

自分の中で、信仰というものに対して「こうでなくてはならない」という思い込みがありました。しかし、この生徒たちのように親神様から日々頂いているご守護に対して、喜びや感謝の心を忘れないことが何よりも大切なことだと思いました。『みかぐらうた』に、

ふじゆうなきやうにしてやらう
かみのこゝろにもたれつけ(九下り目・二ツ)


やしきハかみのでんぢやで
まいたるたねハみなはへる(七下り目・八ツ)

『みかぐらうた』

とあります。今もなお続く感染予防対策により、満足な学生生活を過ごすことは難しいかもしれません。しかし、神様にもたれて日々のご恩に対する喜びを感じて過ごしていれば、きっと喜びの種となって神様が受け取ってくださると思います。

その種からはいつ、どんな花が咲くかはまだ分かりませんが、「当たり前が当たり前ではない」という喜びと感謝の心があれば、自然とひのきしんにつながるのではないでしょうか。

そして、その真実を神様が受け取ってくださって、喜びの種がきれいな花になるよう導いてくださるのではないかと思います。自分の信仰生活においても、この喜びと感謝の心を忘れることなく歩んでいきたいです。

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