浅野治香「あふれんばかりの親心」

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甘いあめと苦いのどあめ

突然ですが、信仰している人とそうではない人は、どう違うと思いますか?

親神様・教祖の親心を知っている人とそれを全く知らない人だと、私は思います。

皆さんは信仰していますか?

私はかっこいい信仰者をたくさん知っています。みんな決まって、親神様の親心を知っていて、信じているのです。

例えば、友達からあめ玉をもらうことがあるとします。

「やったー! うれしい! ありがとう!!」と喜べるのか。

「え? なになに、何か裏があるのかな?」と疑ってしまうのか。

友達は、ただあなたに喜んでほしいだけなのに、受け取られ方が違えばショックも大きい。受けとる側も同じで、友達の想いを信じていれば、ただただうれしいと喜べる。疑えば、うれしいことなのに喜べない。

それは親神様も同じこと。楽しいことも、一見つらいことも、あなたを想っての贈り物。甘いあめだけではなく、ちょっと苦いのどあめもある。それは、あなたの喉を気遣うそんなあめ。

それを知っているか、知らないか。

本当にすてきなこと

私の話ですが、大学を卒業する頃に、腕を骨折しました。当時は肘の形が無くなり、もう二度と腕を曲げられないかもしれないとのことでした。私は看護師になるための勉強をして、国家試験を受けたばかりだったので、つらくてどうしようかと悩んでいました。そんな時、父が駆け付けてくれました。

手術は無事に成功し、少しの後遺症だけで済みました。そして、麻酔から目覚めた時、なぜか父も一緒に同じ病棟で入院していたのです。その時私は「父が私の身上を少しもらってくれたんだ」と思いました。

その話を、信仰のない職場の上司に話すと

「天理教の人は、そんなふうに考えるんだね。すてきだね」

と泣いてくれました。

私はハッとしました。聞く人が聞けば、子に続いて親も入院なんて、泣きっ面に蜂です。しかし、私たちは違います。親神様の親心を知っているのです。親心は確かにあるんだ、それを知っているということは、本当にすてきなことだと気付きました。

あふれんばかりの親心

親神様の「世界中の人をたすけたい」という、大きく温かなお心を知っているか知らないか。親心を知っているからこそ、見える世界があり、喜べることがあります。知っていなければ、親神様の親心に気付かずに、きっと私は不足していたことでしょう。親神様を、世界を、恨んでいたでしょう。こんなに心を掛けてくださっているのに、疑っていたでしょう。

あふれんばかりの親心。知っているってありがたいですね。あなたの周りに起こるすべてのことは、あなたを想っての贈り物なのです。

それから親神様は、私たちがその親心に気付かなくても、知らなくても、それでも変わらず見守ってくださっています。どんな日も、どんな時も、どんなことも。あらゆる面で、ますます良くなっていくようにしてくださっている。それを知ること。それだけでも、きっと親神様は喜んでくださっていると思います。

だから、私は信じたいのです。せっかくの親神様が下さるあめ玉ですから。せっかくのあふれんばかりの親心ですから。

それを素直に喜びたい。たとえ苦くて、なめるのがつらくても、それはいつかの私のためだと信じて歩みたいのです。

今日のあめは何味でしたか?

それはあなたにとってちょうどいい、あふれんばかりの親心の味です!

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