「本当にありがとう。私は幸せです」
私は今、天理教校本科研究課程という場所でお道の勉強をさせていただいています。本科に身を置き勉強をさせてもらう中で、初めて信仰についてしっかりと考えるようになりました。その中で、信仰することに自信を持てず、葛藤する日々が続いていました。
しかし、そんな私が前を向くきっかけをお与えいただきました。教祖誕生祭の日のことです。ひのきしんの帰り道、いつもはなかなか神殿に寄ることができずにいましたが、この日は不思議と神殿に引き寄せられていました。
南礼拝場の階段を上っていると、参拝を終えて階段を降りている一人のおじいさんがいました。なんとなく気になってそのおじいさんを見ていたら、あと2段くらいを残したところでよろめかれました。私はすぐさま階段を駆け下り、そのおじいさんに手を差し伸べました。今考えると、私が行ったところで力になれるはずがないのに、とっさに走り出していました。おじいさんは私の手を取って無事に階段を降りきることができ、私は心底ホッとしました。
私はおじいさんに「お気を付けて」と伝え、階段を上ろうとすると、おじいさんから「おさづけを取り次いでくれませんか?」と言われました。早速、その場でおさづけを取り次がせていただき、おさづけが終わると、おじいさんは私に向かって、「本当にありがとう。私は幸せです」。こう言ってくれたのです。おじいさんと別れ、礼拝場で拝をしている最中、私は涙があふれて止まりませんでした。
あふれた涙の理由
涙の理由は、おじいさんがおさづけを取り次がせてくれたこと、そのおさづけで「幸せ」と言ってもらえたこと、もちろんそれもあったと思います。
しかし、一番は親神様・教祖がまだ私のことを必要としてくれていると感じられたからだと思います。ずっと前向きになれず、神殿に足を運ばなくなり、不足ばかりの私でしたが、神様は決して見放さず、まだまだ必要としてくれている気がして、それがうれしくてうれしくておつとめをしながらも涙が止まりませんでした。
おふでさきに
このよふを初た神の事ならば
せかい一れつみなわがこなり
『おふでさき』第4号 62
せかいぢう神のたあにハみなわがこ
一れつハみなをやとをもゑよ
『おふでさき』第4号 79
というお歌があるように、私たち人間は親神様にとって一人残らずかわいい我が子であり、絶えずお見守りくださっています。心が前を向けない時は、前を向けるようなきっかけをお与えくださり、神様が良い方向へと導いてくださるのです。
私は、このことをきっかけに、お道により向き合えるようになり、自分なりの信仰をしていきたいと思うことができました。誰しも信仰していることに自信を持てなくなったり、親神様のご存在を疑ってしまったり、そんな時が来るかもしれません。しかし、その葛藤は私が成人するためには必要なことだったのかもしれません。
私は、教祖のお誕生日に、とびきりすてきなプレゼントを頂きました。これからもこの気持ちを忘れないよう、神様からのプレゼントを大切にして、通らせていただきます。