辻雄二郎「父から受け継いだもの」

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父から受け継いだもの

私が小さい頃、父と初めてキャッチボールをした時のことを覚えている。私はそんなに運動神経が良い方ではないので、最初はうまくボールをキャッチできなかった。

それでもだんだん慣れてきて、一通りボールをキャッチして投げられるようになってくると、キャッチボールが楽しくなってきた。それからは兄弟や近所の子どもたちと遊びの野球をやるようになったり、プロ野球のテレビ中継を見るようになった。

当時、巨人が強かったように記憶しているが、父は大の阪神ファンなので「阪神タイガースしか応援してはいけない!」「俺は阪神の応援団長をやっていたこともあるんやぞ!(後日、嘘であったことが判明した)」と半ば強制的に阪神ファンになった。

それでも、親子そろって阪神を応援するのは楽しいひとときであったし、甲子園球場に連れて行ってくれたこともあった。

そして1985年、阪神がペナントレースを制し、日本シリーズで西武ライオンズを4勝2敗で退けて日本一に輝いた時は、子どもながらにとても嬉しかったし、父も上機嫌であった。

その後、阪神はしばらく勝てない時代が続いたが、親子そろって同じ球団を応援することは楽しいことであった。

神様からの大きな手引き

私が大学4年生になって将来の進路を考えるようになると、世上で働くことを考えて就職活動をするようになった。私は次男なので、信仰を継ぐ必要はないと考えていたからである。しかし、秋になっても内定はもらえず、その上、交通事故に遭ったのである。

名阪国道を「おぢば」に向かって一人で運転していると、後ろから追突され、車の後部はつぶれ、そのまま廃車となってしまった。不思議なことに私の体は軽いむち打ちで済み、修理工場の人は「よく生きていましたね」と驚くほどの事故だったそうである。

この大きな出来事から親の信仰を受け継ぎ、道一条で通ることを心に定めた。大学卒業後はそのまま修養科、当時の教会長資格検定講習会を経て、本部青年に入れていただき、道一条で通らせていただいている。父は何も言わなかったが、私が信仰を受け継いだことを喜んでいる、と人づてに聞いた。

大学を卒業して20数年、教祖(おやさま)の御用ひとすじに通らせていただく中に、結婚して子どもを5人授かった。道一条は決して平坦な道ではないが、何事にも一生懸命に通る中にご守護を頂けるのだと思う。

そして親から受け継いだ信仰が、今の結構な姿につながっていることを実感している。

蛇足(だそく)ながら、父から受け継いだ阪神ファンであるが、見事に私の息子にも受け継がれている。

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