一二三「人がめどか」

ヒカル

先生、ハルカちゃん、こんにちは。

ハルカ

こんにちは。今日もよろしくお願いします!

先生

ヒカルくん、ハルカちゃん、こんにちは。今日は『稿本天理教教祖伝逸話篇』の、一二三「人がめどか」に学ばせてもらいましょう。

今回のポイント
人間関係は大切だけれど、お道の信仰は自分と親神様との一対一の関係性が基本です。どこに向かって信仰しているのかを間違えてはいけないということ。

一二三 人がめどか


教祖は、入信後間もない梅谷四郎兵衞(うめたにしろべえ)に、

「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや。」

と、お諭し下された。生来、四郎兵衞は気の短い方であった。
明治十六年、折から普請中の御休息所の壁塗りひのきしんをさせて頂いていたが、「大阪の食い詰め左官が、大和三界まで仕事に来て。」との陰口を聞いて、激しい憤りから、深夜、ひそかに荷物を取りまとめて、大阪へもどろうとした。
足音をしのばせて、中南の門屋を出ようとした時、教祖の咳払いが聞こえた。「あ、教祖が。」と思ったとたんに足は止まり、腹立ちも消え去ってしまった。
翌朝、お屋敷の人々と共に、御飯を頂戴しているところへ、教祖がお出ましになり、

「四郎兵衞さん、人がめどか、神がめどか。神さんめどやで。」

と、仰せ下された。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』208ページ
ハルカ

先生、梅谷四郎兵衛さんは、せっかくおぢばへひのきしんに来たのに、誰かに陰で悪口を言われて、怒って帰ろうとしたんですか?

ヒカル

そもそも「大阪の食い詰め左官(さかん:注1)が、大和三界まで仕事に来て」ってどういう意味ですか?

先生

そうですねぇ。「大阪で仕事をもらえないような腕の悪い左官職人が、仕事を求めて大和の田舎まで来ている」というような意味の悪口だと思います。
ですが、梅谷先生は決して仕事に困るような腕の悪い職人ではなく、むしろ立派な左官職人で、仕事にも誇りを持っておられたことだろうと思います。

ヒカル

なるほど。そんなこと言われたら、誰でも腹が立ちますよね。

先生

そうですよね。プライドを傷つけられた梅谷先生は、もうこんな所にはいられないと思い、誰にも告げずこっそりと大阪へ帰ろうとされたんですね。
そこで、当時、教祖(おやさま)がお住まいになっていた中南の門屋(注2)のお部屋の横を通ろうとした時、教祖のせき払いが聞こえたんです。

ハルカ

「あ、教祖が。」と思った途端に足が止まり、腹立ちも消えてしまったって、すごいですね。

先生

そうですね。でも、よく考えたら、当時の人々は教祖にお目に掛かりたくて、教祖に喜んでいただきたくて、お屋敷へ帰って来られていたんです。
ましてや、この時は、教祖がお住まいくださる御休息所(注3)を建てるために、各地から人々がひのきしんに来ていたわけです。
去るにしても、教祖に一言お詫びを申し上げてから去ろうと思われたのではないでしょうか。

ハルカ

なるほど。そこへ教祖が直々に声をお掛けくださったんですね?

ヒカル

「四郎兵衞さん、人がめどか、神がめどか。神さんめどやで。」だね。

先生

「めど」というのは、一般的には「目処」という漢字が当てられ、「目指すところ」や「目当て」「目標」というような意味で使われます。
天理教では「目標(めどう)」と書かれることが多いですが、教祖は、どこに向かって信仰しているのかを間違えてはいけないとお仕込みくださったのだと思います。
『みかぐらうた』の四下り目の一ツに
ひとがなにごといはうとも
かみがみているきをしずめ

とある通り、親神様・教祖はちゃんと受け取ってくださっているということですね。

ハルカ

なんか分かる気がします。人間関係って難しいですもんね。
ところで、先生。教祖は四郎兵衞さんに、「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや。」とお諭しくだされていますね。

先生

そうです。これも大事なポイントですね。
「やさしい心」というのは、『みかぐらうた』の五下り目の六ツに
むごいこゝろをうちわすれ
やさしきこゝろになりてこい

とあります。
手振りから思案すると「やさしい」は縦に丸く円を描く手振り、「むごい」は腹前で両手で押さえる手振りですから、「やさしい心」というのは、相手を押さえつけたり、はねつけるような心ではなく、なんでも丸く大らかに受け止める心だと悟ることができるのではないでしょうか。

ハルカ

なるほど~。おてふりの手振りにも意味があるんですね。

先生

「人をたすける心」は、『おふでさき』の第三号38に
しんぢつにたすけ一ぢよの心なら
なにゆハいでもしかとうけとる

とあるように、親神様が最もお喜びくださる心です。
そして、「癖・性分」というのは、「怒りっぽい」とか「せっかち」だとか「愚痴っぽい」というような心の性質のことです。
そういう性質が強いと、目に映る物事がその心通りに見えたり、ついつい無意識に考え方や言動に影響を及ぼしてしまうのです。
たとえば、愚痴っぽい人は、何でもネガティブに考えがちですし、怒りっぽい人は、深く考える前にすぐに腹を立ててしまいます。

ヒカル

なるほど。僕にもちょっと思い当たるふしがあります。

先生

『おふでさき』の第三号50に
いかなきもをふくよせてハあるけれど
いがみかゞみハこれわかなハん

とありますが、特に、親神様のたすけ一条のご用を担う「ようぼく」となるためには、ゆがんだり、曲がったりしている心の癖があると困ると仰っています。

ハルカ

なるほど。「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや。」というお言葉は、親神様・教祖のたすけ一条のご用を担う「ようぼく」となるために心掛けなければならないことだったんですね。


※注1…左官:漆喰(しっくい)やモルタルなどの壁塗工事を行う職人。
※注2…中南の門屋:明治8年に完成し、明治16年に御休息所が完成するまで、教祖のお居間として使用された門屋構えの住宅。
※注3…御休息所:教祖のお住まいとして明治16年に建築され建物。教祖は陰暦10月26日(11月25日)の夜、中南の門屋から新しい御休息所へ移られた。

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