「Happist」読者の学生の皆さん、こんにちは。
前回は教祖を知る、感じるということについて少し勉強させていただきました。今回からは、教祖のお立場について一緒に考えたいと思います。
教祖のお立場には、「月日のやしろ」「ひながたの親」「存命の理」の三つがありますが、今回は、「月日のやしろ」のお立場について考えたいと思います。
まず、「社」とは、一般的に神様がお祀りされる建物などのことをいいます。ですから、「月日のやしろ」とは、単純に考えると「教祖の中に月日親神様がお入りになった」「教祖自身の身体に親神様が入り込んでいる」ということです。
また、天保9(1838)年10月26日に、親神様が人間を創められた時の約束により、教祖に入り込まれ、世界中の人間をたすけたいとの深い親心から、人間の親である親神様の存在を教え、陽気ぐらしへと続くたすけ一条の道を教祖がお始めになられましたので、当然、親神様がお入りになっているというただの「社」ではありません。
さらに、
いまなるの月日のをもう事なるわ
くちわにんけん心月日や
『おふでさき』第12号 67
しかときけくちハ月日がみなかりて
心ハ月日みなかしている
『おふでさき』第12号 68
と、おふでさきで示されるように、「月日のやしろ」に定まられてからの教祖のお心は、親神様のお心そのままであり、教祖のお口を通して伝えられるお言葉は、親神様のお言葉であります。
しかし、親神様のお言葉を伝えるという意味では、教祖以外にもお二人おられました。
月日よりやしろとなるを二人とも
べつまへだてゝをいてもろたら
『おふでさき』第9号 5
とのお歌で、「やしろとなるを二人とも」と書かれています。これは教祖と、教祖の手助けをなさっていた末の娘・こかん様を指しているのですが、「月日のやしろ」が二人いるという意味ではありません。
親神様のお心が一貫してお入り込みになっている「月日のやしろ」は教祖だけで、こかん様は親神様のお言葉を伝える手伝いをする役を務められていたのです。
また、こかん様が明治8年に出直された後は、飯降伊蔵先生が「言上の許し」を戴(いただ)かれ、教祖に代わって時折、教祖ご在世中も、親神様のお言葉を伝えておられました。
教祖が現身(うつしみ)をおかくしになられた後も、続いて親神様のお言葉を教祖に代わって伝えられ、本席というお立場になってから出直されるまでの約20年間、おさしづをもって導いてくださいましたが、
席に入り込んだら神やで。なれど、入り込まん時は人間やで。
『おさしづ』明治40年4月12日
と示されるように、親神様が入り込まない時は人間なのです。これは、こかん様も同様です。
ですから、教祖の他に親神様のお言葉を伝えられた方は、こかん様と飯降伊蔵先生のお二人がおられましたが、「月日のやしろ」は後にも先にも教祖だけなのです。