「扉を開いて」とは、「やしろ」となる教祖のお身体を出て、世界たすけに出ることで、「これまで子供にやりたいもの」とは「おさづけの理」。理が渡そうとの「理」とは、本席・飯降伊蔵先生のことだと思います。
ここでこのおさしづを読むと「『扉を開いて』とお願いしたので、教祖は現身をかくされたのだろうか?」「もし『閉まりて』とお願いしていたらどうなっていたのかな?」と考えてしまいます。
しかし、過ぎたことに対して「〜たら」「〜れば」と考えてもあまり意味がありませんし、特に、明治20年陰暦正月26日に教祖が現身をおかくしになられることは、前々から決まっていたことなのです。
それは、次のおさしづで示されています。
さあ/\正月二十六日と筆に付けて置いて、始め掛けた理を見よ。さあ/\又正月二十六日より、やしろの扉を開き、世界ろくぢに踏み均しに出て始め掛けた理
『おさしづ』明治22年3月10日
と、ここで「筆に付けて置いて」と言われるのは、
十一に九がなくなりてしんわすれ
正月廿六日をまつ
『おふでさき』第3号 73
のお歌です。
教祖がこのお歌をお書きになられたのは明治7年で、「十一に九がなくなりて」が、明治20年に90歳の教祖が現身をかくされることを暗示しているとは誰も気付いておらず、明治22年のこのおさしづによって、初めて教祖が現身をかくされることが先に記されていたことが分かりました。
ですから、もし「閉まりて」とお願いしても、教祖は現身をおかくしになられたと思いますし、人間側が「開いて」とお願いすることすら、すでに決まっていたことなのかもしれませんね。
10年ほど前、ブラジルへ行った時に聞いた、ある女性の話を紹介します。
その女性は仕事の合間におたすけをされているのですが、なかなかはっきりと分かるご守護が頂けず、自分のような者が、しかもおぢばから遠く離れたブラジルでおさづけを取り次いで、本当に教祖がお働きくださりご守護いただけるのか自信があまりなかったそうです。
そんな中、ある家へおたすけに行った際に、その家の方の知人も家にいて、おさづけを取り次ぐと、それを見ていた知人の方が泣き出したそうです。
不思議に思い、取り次いだ後に理由を聞くと「こんなことがあるんですね。あなたがお祈りをする時に、赤い服を着た白髪のおばあさんがドアから入って来て、あなたの身体の中に入っていきました。あのおばあさんはすごく強い魂の持ち主で、生きている魂です」と言ったそうです。
その方がおっしゃるには、教祖が見えたとのことでした。それを聞いて、自分のおたすけに自信がなかったその方は、教祖は日本から見れば地球の裏側の私のような者の所にまで来て、おたすけしてくださるのだと、うれしくて、ありがたくて涙が止まらなかったそうです。そして、それからは自信を持って、さらにおたすけに励むようになったということでした。
にわかには信じがたい話ですが、教祖はようぼくの誠真実に乗って、今もこれから先もずっとご存命でお働きくださいます。
※『Happist』2017年9月号掲載