「なぜ、親神様は、身体を私たちにくださらずに、貸されるだけなのか?」
この問いは「かしもの・かりもの」を理解するのに非常に良い問いなのですが、多くの人が明確に答えられないと思いますし、いろんな意見も出てくると思います。
私にも私なりの答えがあります。私たちの身体は、皮膚や骨や筋肉、臓器などありとあらゆる部位で構成されている、とても素晴らしいもので、すべてが調和を取って生命を保っています。そして、人間以外のすべての生命についても言えることですが、いくらお金を積んでも知恵を絞っても、到底人間が創れるものではありません。
この素晴らしい身体を、私たちは大金を払って手に入れた訳でもなく、生まれた時からずっと無償で使わせていただいています。
しかし、それは親神様のご守護が身の内にあるからこそ、生きることができているのです。
もしも、親神様が私に「そんなに身体を借りるのが嫌で、自分のものとして欲しいのならば、その身体をあげるよ」と言って、この身体が完全に自分のものになったとしたら、間違いなく私の身体は数秒で死体となってしまうと思います。
私の身体は親神様のお働きに守られているからこそ、生きることができるのです。親神様のご守護が抜けた身体は生命を保つことができず、その時点で死体となり、腐敗が始まっていくでしょう。
つまり、私たちは身体の中のあらゆる働きもケガや病気を治すメンテナンスも、すべて親神様に丸投げでお任せして、使うのだけは自由に使わせてもらっているということなのです。
私は幼い頃から、「病気になったとき、自分の思い通りに身体が使えないから、借り物であることが分かる」といった説明を何度も聞かされてきましたが、残念ながら、私はそれだけでは、自分の身体が借り物であるとは理解できませんでした。
病気になっても、ケガをしても、しばらく放っておけば治ると知っていたからです。
しかし、だんだんと身体を治してくれるのが親神様のお働きだと感じるようになってくると、借り物であることが少しずつ分かるようになってきたように思います。
例えば、カッターナイフで指を切ってしまったときに、その傷の周りの皮膚の細胞は切れた瞬間からつながろうとしますし、菌やウイルスが体内に入ってもほぼ100%といえるほど免疫がやっつけてくれます。万が一免疫が負けても、体内の抗体が戦ってくれて、発熱などの症状は出ますが、それも親神様が身体を治そうと働いてくださるのです。
私たちは、全く意識をしないまま、親神様のご守護に守られて毎日を生きているのです。