「かしもの・かりもの」について考えよう! 2

「Happist」読者の学生の皆さん、こんにちは。

今回も、前回に引き続き天理教の教えの中でも重要な教えの一つ、「かしもの・かりもの」についてさらに深く掘り下げて勉強したいと思います。

まず、「かしもの・かりもの」をはじめとするお道の教えを正しく理解するためには、教えを理解する順序があると私は思っています。それは、「元の理」→「十全の守護」→「かしもの・かりもの」→「心一つが我がの理(八つのほこり)・心通りの守護」→「いんねん」→「たんのう」の順で理解を進めていくと分かりやすくなると思っています。そして、「かしもの・かりもの」の教えを理解する上で、欠かせない根幹に位置するおふでさきがあります。それは、

たん/\となに事にてもこのよふわ

神のからだやしやんしてみよ

『おふでさき』第3号 40 第3号 135

です。

すなわち「この世」=「神のからだ」ということです。では「神のからだ」といわれる「この世」というのは、何のことなのでしょうか?

広大な宇宙の銀河や太陽系の調和の取れた星々の動き、その中で唯一、月と太陽の働きによって、生命が存在する奇跡の星である地球の火水風の働きなどといった、スケールの大きなものから、人間の身体を含め、すべての動物や植物、虫、また菌やウイルスなど生命の中で起こっている微細な働きに至るまで、すべての働きが神であり、「神のからだ」であるということです。

そして、私たちは、その数え切れないほどある「神のからだ」の中から、それぞれが「神のからだ」であるこの身体一つだけをお借りして、自由に使わせてもらい、現在、生かされているのです。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』164話に、

神と言うて、どこに神が居ると思うやろ。この身の内離れて神はなし。又、内外の隔てなし。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』164 「可愛い一杯」より抜粋

との山田伊八郎先生(敷島大教会二代会長)の、教祖のお話の覚え書が載っていますが、まさに私たち一人一人が頂戴している親神様のご守護の最たるものは、この身体をお借りして生かされていること以外にありません。

その最も身近にあるご守護に気付かないでいたならば、親神様の存在もご守護も何も分かっていないということです。

めへ/\のみのうちよりのかりものを
しらずにいてハなにもわからん

『おふでさき』第3号 137

と教えられるゆえんです。

そして、そのお働きは身の内も、その他の世界においても、同じ親神様の十全の守護のお働きがあるということを教えてくださっているのです。

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