「魂」について考えよう!

天理教では「魂は生き通し」と教えられます。特に人の出直しについて考えるときに、魂について触れなければ話が始まりません。このことについては、魂という言葉は出てこないですが、おふでさきに

このものを四ねんいせんにむかいとり

神がだきしめこれがしよこや

『おふでさき』第3号 109

それからハいまゝて月日しいかりと

だきしめていたはやくみせたい

『おふでさき』第7号 68

と書かれています。

この二つのお歌は、教祖がお書きくだされた時期は離れていますが、いずれも明治3年陰暦3月15日に出直された教祖の長男・秀司先生の庶子である、お秀様のことで、明治10年に中山たまへ様(秀司先生とまつゑ様の長女)として生まれ変わらせることを伝えるものです。

このおふでさきから分かることは、人間は亡くなって身体をお返しした後も、魂は無くなることなく親神様に抱かれて、時期が来たらまた新しい身体をお借りして、いんねんあるところに別の人となってこの世に生まれ変わってくるということです。これが天理教で教えられる「出直し」の教えです。

ここで一つ、他宗教と大きく異なる点があります。それは、天理教の教えには、いわゆる「あの世」が存在しないということです。

仏教にしても、キリスト教などの西洋の宗教にしても、必ず天国や地獄などの死後の世界が説かれています。それは恐らく、人間の死に対する恐怖と、死んだらどうなるのだろうかという不安から、死後の世界が考えられるようになったのだと思います。

また、「天国に行きたいから」「地獄には行きたくないから」と、死後の世界のために信仰している宗教もたくさんあります(ほとんどがそうかもしれません)。

そういう教えと比べると、この世で陽気ぐらしをすることが目的になっている天理教の教えは、かなり特異なものと言えます。

以前、にをいがけ先で知り合った他宗教(仏教系の新興宗教)の熱心な信者と話をした時に、「死後の世界がない宗教なんて、そもそも宗教ではない」と言われました。

そのように言われた時は「?」となったのですが、それくらい死んだらどうなるのかということが、古今東西、人間にとって大きな関心事だということなのでしょう。

天理教では「あの世」はないと教えられますが、今生での生き方は、魂に刻まれて、良くも悪くも来生に引き継がれていくと教えられます。

また、今生の前の、前生での生き方も、魂に刻まれて今生に影響を与えているのです。いずれにしても、私たち人間は、生き通しの魂に親神様が身体をお貸しくださって人間として生まれます。

そして、亡くなって身体をお返しすれば、魂だけに戻って、親神様の懐住まいとなり、また時期が来れば新しい身体をお借りして、人間となって生まれる、というサイクルで何百年も何千年も、人によっては何万年、何億年と過ごしているということになるのだと思います。

しかし、魂について考え出すと「?」がたくさん出てきます。私も「?」がたくさんありますので、この続きは次回で勉強しましょう。

※『Happist』2017年12月号掲載

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