「魂」について考えよう!

「Happist」読者の学生の皆さん、こんにちは。

前々回までは「かしもの・かりもの」について、前回は「心一つが我がの理」と教えられる「心の自由」について勉強しました。

私たち人間は、親神様からお借りしている身体と、自由に使うことをお許しくださっている心、そして、目にも見えず、感じることもできず、有るのか無いのか確認のしようがない魂の三つで形成されていると私は思っています。

そこで、身体と心における教えについては少し勉強しましたので、今回は無謀にも魂について勉強したいと思います。

皆さんは、心と魂の違いについて考えたことはあるでしょうか?

身体と違い、心や魂は目には見えません。しかし、心は日々自分で確認していますので、存在することはお互い重々承知しています(心といっても、思考と感情に大きく分かれて、二つが一つになって心と呼ばれるものになるのだと思います)。しかし、魂となると、感覚としてあることを確かめることはできません。

そこで「おふでさき」「みかぐらうた」「おさしづ」の三原典に、魂についての教えを求めようとするのですが、意外にも、三原典には魂という言葉がほとんど出てこないのです。

みかぐらうたには一カ所も出てきません。

おふでさきには、

高山にくらしているもたにそこに

くらしているもをなしたまひい

『おふでさき』第13号 45

おさしづには、人間から尋ねている箇所には数カ所ありますが、親神様のお言葉としては

皆一寸の虫にも五分の魂

『おさしづ』明治29年3月24日

とのことわざが出てくるだけです。

逆に心という言葉は、原典の中に数え切れないくらいにたくさん出てきます。

そこで原典の中から、わずかながら心と魂の違いについて分かるのは、魂については先ほど挙げたおふでさきで、「をなしたまひい」と、人間は皆等しい魂を持っていると教えられているのに対して、心については、

をやこでもふう/\のなかもきよたいも

みなめへ/\に心ちがうで

『おふでさき』第5号 8

と、心は皆違うと教えられているということです。つまり、「魂は皆同じ」だが「心は皆違う」ということです。

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