明日の地図ひろげて

本部員/東京分教会長
  

松村 登美和

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25年前の私~大学1年生・夏

大学の思い出

桜の花を見ると思い出す。僕が通った大学は埼玉県の私鉄沿線にあった。正門の真正面には川が流れていて、両岸の土手は桜並木だった。4月には学生や教授、職員が入り交じって幾つも集団をつくり、そこかしこで盛り上がっていた。

駅から学校までは15分ほど歩くのだが、正門に向かう寸前で木製の橋を渡る必要があった。入学式など一度に大勢の人が集まる際には、橋の手前に大学の職員が立った。なぜか? 橋の老朽化が進み、市の規制で重量制限がかけられていたからだ。一定の人数しか渡ってはいけないので、職員が通行量を調整するのだ。

僕は東京にある生まれ育った教会から、1時間半ほどかけて通学していた。使う電車は床が木製で、所々に節穴があり線路の敷石が見えたりもした。

そんな昭和の色濃い学生時代を終えてから、もうすぐ25年になる。卒業四半世紀を迎える記念(?)に、そのころのことを少し思い出してみようと思う。

人生初のにをいがけ

僕は天理高校で学ばせていただいた。進学して東京へ戻ると、教会では少年会活動が盛んになっていた。

僕の小中学生時代、「こどもおぢばがえり」には、親に連れられ兄弟だけで参加していた。だから天理高校で同級生から聞いた「こどもおぢばがえり」の思い出話 ―宿舎での団体生活の様子など― がうらやましかった。

そのような理由があって、教会で、弟を中心に子どもたちで旗やしおりを作り「こどもおぢばがえり」の準備をしている様子がとてもうれしく思えた。そして自分もそれに加わりたいという思いから、勧誘のために近所を回ろうと思い立った。

大学入学から3カ月たった7月初め、通常授業が終わって実習期間まで1週間の休みがあった。その休み中に近所を回ることにした。卒業後はいずれ父の跡を継いで教会長のご用を務めさせていただきたいと心に決めていたので、そういうことにも早くから慣れていた方がいい、と考えていた。

それは人生初のにをいがけ(戸別訪問)だった。そして同時に、実にショッキングな体験となった。

いざ教会を出発して1軒目、「こんにちは、近所の天理教の教会の者です」と声を掛けた。すると中から出てきたご主人に「ばかやろう! 出て行け」といきなり怒鳴られた。「いや、あの…」と口ごもっていると「このやろう、けんか売りに来たのか!」と浴びせられ、「玄関のポスターが見えないのか!」と、スリッパを投げつけられた。どうやらそのご主人は別の宗教を信仰されていて、逆鱗に触れたようだった。

僕はその反応のすさまじさにショックを受け、そのまま教会に戻り布団にくるまってしまった。その後3日間、部屋から出られず「自分はこういうことを一生やっていくのか…」と、深く深く落ち込んだ。

その3日間、いろいろなことを考えた。しかし最後に「ちくしょう、もう1回行くか」と思えてきて、残り数日は無事に勧誘に回ることができた。

その一件は僕をとても強くしてくれた。強烈な先制パンチであったが、その後今に至るまで、にをいがけ先で何が起きてもプレッシャーを感じることはなくなった。その出来事は、気弱な僕が将来動じることのないようにと、親神様(おやがみさま)が先回りして準備してくださり、お導きくださった賜り物だと、今では思う。ありがたい出来事だった。


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2011年 4月、5月、6月「Happist」掲載
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