相談相手は誰ですか?
今回から新しいコーナーが始まります。
私自身もまだまだ勉強中ですが、皆さんと一緒に教えを求めていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
ところで皆さんは、悩み事があったとき、誰に相談しますか?
親、きょうだい、友達、先輩……。
悩み事の中には、誰にも言えないこともあるでしょう。
自分だけが抱えている苦しみもあるかもしれません。
もし、それを打ち明けるとするなら、あなたは誰に伝えますか?
逆に、大切な人から悩み事を相談されたら、あなたはどのように応じますか?
おやさま(教祖)は、人々のそうした悩み事に耳を傾け、寄り添い、生涯にわたって多くの相談に応じてこられました。
そして、人々は、おやさまのそうしたご態度に接するたびに、何ともいえないぬくもりを感じたようです。
例えば、次のようなエピソードが伝えられています。
「教祖程、へだてのない、お慈悲の深い方はなかった。どんな人にお会いなされても、少しもへだて心がない。どんな人がお屋敷へ来ても、可愛い我が子供と思うておいでになる。どんな偉い人が来ても、
『稿本天理教教祖伝逸話篇』195「御苦労さま」316ページ
『御苦労さま。』
物もらいが来ても、
『御苦労さま。』
その御態度なり言葉使いが、少しも変わらない。皆、可愛い我が子と思うておいでになる。それで、どんな人でも皆、一度、教祖にお会いさせてもらうと、教祖の親心に打たれて、一遍に心を入れ替えた。教祖のお慈悲の心に打たれたのであろう。
例えば、取調べに来た警官でも、あるいは又、地方のゴロツキまでも、皆、信仰に入っている。それも、一度で入信し、又は改心している。」と。これは、高井直吉の懐旧談である。
おやさまは、このように、どのような人であっても温かく接せられました。
そして、その人の胸の内に耳を傾けられると、その悩みの種が、実は陽気ぐらしの種でもあることを伝えられたのです。
皆さんも、悩み事や心配事があるかもしれません。
そんな時は、まずは、おぢばや教会に足を運び、おやさまに胸の内をご相談申し上げましょう。
きっと、そのぬくもりに触れることができるはずです。
ところで、昔の人たちがおやさまに相談した内容と、その時の親神様のお言葉がまとめられて、現在「おさしづ」という書物として残っています(明治20年におやさまが現身を隠された後は、飯降伊蔵先生が「本席」という立場から親神様の親心を伝えられました)。
親神様のお言葉は、当時の人々の相談に応じたものではありますが、それは同時に今を生きる私たちへのメッセージでもあります。
その中には、親神様の方からその時々の状況に応じてお話してくださったもの(「刻限のさしづ」)もあります。
私たちの人生には、いろんなことが起きます。
時には、悩んだり、苦しく思ったりすることもあるでしょう。
でもきっと、その時の悲しみは単に悲しみだけに終わらず、どこかで次の喜びへとつながっていくはずです。
これから「おさしづ」を一緒に読んで、その手掛かりを探しに行きませんか。
きっと「おさしづ」は、私たちを支える言葉になると思います。
これから、どうぞよろしくお願いします。
著者プロフィール
■深谷 耕治(ふかや こうじ)
1983年生まれ。やまとよふき分教会所属。天理大学人間学部宗教学科助教。主な研究テーマは、「おさしづ」などの天理教原典の研究、および天理教里親の調査など。好きな食べ物は、自分で作ったインスタントラーメン。