「Happist」読者の学生の皆さん、こんにちは。
前回まで3回にわたり教祖の三つのお立場について勉強しました。今回は、天理教の教えの中でも重要な教えの一つ「かしもの・かりもの」について考えたいと思います。
「かしもの・かりもの」の教えは、「教えの台」とも言われます。また、
めへ/\のみのうちよりのかりものを
『おふでさき』第3号 137
しらずにいてハなにもわからん
と教えられるように、この「かしもの・かりもの」の教えが心に治まらなければ、何も分からないとまで言われます。
「私たちが日々使わせていただいている身体は、決して自分のものではなく、親神様がお貸しくださっているものであり、借り主は私たちの魂。そして、自分の心のみが、自分が自由に使えるものである」という教えは、理屈としてそんなに難しくはありません。
しかし、「身体は親神様からの借りもの、心一つが我がのもの」という単純明快な教えは、私の知る限り天理教しか説いていない、貴重な教えだと思います。
世界には数え切れないほどの宗教があります。私は他宗教の教理について詳しくは知りませんが、ユダヤ教やそれに端を発するキリスト教やイスラム教をはじめ、仏教を元に次々と教えを変えて数々に分派した教えでも、心や魂、特に死後の世界については種々難しい教えが説かれているようですが、人間の身体についてはさほど重きを置いて説かれていないようです。
一方、天理教では、人間の妊娠・出産から、日々頂く自然界のご守護とともに、体内のご守護について、詳しく説かれています。
たいないゑやどしこむのも月日なり
『おふでさき』第6号 131
むまれだすのも月日せわどり
と教えられる通り、人は皆、親神様のお働きで母親の胎内に宿り、その後、およそ10カ月の期間をかけて、親神様のお働きにより母親の胎内で徐々に人間の身体にお育ていただきます。
これは何億年もかかって徐々に進化してきた人間の成長の過程を、わずか10カ月で母親の胎内で同じようにお育ていただいていると言えるのかもしれません。そして出産という大きなご守護を頂いて、一人の人間として誕生します。
さらに、人間の元初まりから、現在、私たちを日々生かしてくださる親神様のお働きを「十全の守護」として、それぞれのお働きに対して、次のように神名を付けて教えてくださっています。