初めて真剣に
私が天理教校専修科1年生だった夏に大好きな叔母が39歳という若さで出直しました。がんでした。 思い返してみると、約3年間の闘病生活の中で、本当にたくさんの不思議なご守護を見せていただいたなと感じています。
叔母のがんを知らされたのは、私が高校1年生の時です。きっとすぐに良くなるだろうと思い、あまり気に留めていませんでした。しかし、年齢が若かったということもあり、がんの進行は早く、抗がん剤の副作用で髪は抜け落ち、痩せ細っていく叔母の姿を今でもよく覚えています。
このふしから、毎日、両親や祖父母をはじめ、たくさんの方がお願いづとめを勤めたりおさづけ取り次いでいたりする姿を目にしました。その当時の私は天理教にあまり良い印象を持っておらず「そんなに頑張って意味ある?」と思っていました。
このふしから、毎日、叔母のたすかりを願って、両親や祖父母をはじめ、たくさんの方がお願いづとめを勤めて、おさづけを取り次ぐ姿を見ました。
しかし、もうだめかもしれないというところを何度もたすけていただき、神様のお働きを感じる瞬間がたくさんありました。このふしを通して、初めて心から神様の存在を信じることができ、誰かのたすかりを願って真剣におつとめを勤めることができたように思います。そしてもっと何かできることがあるのではと考えました。
このふしがあったからこそ
そんな中、高校3年生の時に学修に誘われ、迷いながらも参加しました。そして、班のカウンセラーさんが専修科の卒業生で、その時に初めて専修科の存在を知りました。おぢばの学校に進んで伏せ込ませてもらったら、叔母をたすけていただけるかもしれないと、思い切って専修科への進学を決めました。
しかし、叔母は出直してしまいました。ちょうど夏休みで帰省していたので、すぐに会いに行き、最後のお別れをすることができました。その時は悲しくて何も考えられませんでしたが、夏休みが明けおぢばへ帰った時、ちょうど帰省中だったおかげで最後に会うことができたのだと気付きました。
私は、このふしがあったからこそ専修科へ入学し、そのおかげで今の私があると思っています。 つらく、悲しい出来事が起こったとしても、そばには気付きや小さな喜びがあるということを学びました。また、自分の心の向きを少し変えてみるだけで、ありがたいなと思えることが身の回りにはあふれているのだと感じました。日々の生活の中には、まだ見つけられていない喜びがたくさんあるのかもしれません。今以上に、そばにある喜びに気付けるような心遣いで通らせていただきたいと思います。