修養科での気付き
私は教会で生まれ育ちましたが、学生時代は正直、お道に前向きではありませんでした。親神様の存在を信じ切れず、信仰とは何なのかもよく分からない。いつしか、「自分には信仰心がないから、お道から離れたい」と思うようになっていました。
それでも家族仲は良かったので、家族に対してそういった本音をあまり出さずに学生生活を過ごし、大学3年生となった時、誰にも相談せずに着々と就職活動を始めていました。
そんな中、何かを察したのか突然父に呼ばれ、今後の進路について話し合うこととなり、私は初めて信仰に対する思いを父に正直に打ち明けました。
父はひとしきり話を聞いた後、「信仰したくないと言うが、まずは勉強してから判断しなさい」と言い、「おぢばでお道を学んできなさい」と私に修養科を勧めました。二つ返事ではありませんでしたが、私はそれを了承し、大学を1年休学して修養科に志願することを決めました。
ここだけ見ると素直な息子に見えますが、正直、内心では「これさえ行けば一通り勉強したと言える。やはり信仰しないと堂々と言える」などと考えていました。
おぢばでの生活は、最初は嫌々過ごす毎日でした。しかし、たくさんのお道の方々と関わり合う中で、自分より困ってる誰かのために心や体を使うおたすけの姿であったり、喜び勇んでひのきしんをする姿などを目の当たりにし、利己的であった私の心に少しずつ変化が生まれました。
特に印象に残っているのは、帰参した両親や祖父母が、詰所でひのきしんをする私の姿を本当にうれしそうに見てくれていたことです。その笑顔を見た時、「自分は今まで、お道の上で親を喜ばせること、笑顔にさせることが少なかったな」と反省し、真剣にお道と向き合ってみようという心が芽生えました。
この教えと真剣に向き合えば向き合うほど、そのありがたさに気付くことができ、同時にそれまでの「我さえ良くば、今さえ良くば」という自分の嫌な心遣いにも気付かせていただきました。こんな自分を変えたいと思ったのは生まれて初めてだったかもしれません。

おぢばのありがたさ
おぢばで過ごした3ヶ月は、自分自身を見つめ直すことのできる、本当に有意義な時間であり、人生の大きな転換期となりました。
今思えば、当時学生という若くて未熟な時だったからこそ、心を切り替えやすく、胸の掃除もしやすかったのかなとも思います。
その後も紆余曲折はありましたが、今では少しでも親神様、教祖、そして親々に喜んでいただけるよう、御恩報じを目指してこの道を通らせていただいております。
おぢばという場所は、親神様や教祖が私たちの帰りを楽しみに待っておられるありがたい場所。そして、信仰的にも、人生の上においても大切なことに気付かせていただける場所であると実感しました。
この「おぢばで人生が変わる喜び」を、かつての私のような方に、ぜひとも味わっていただきたいなと思います。

