原田親悟「親の声なんて」

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私の夢

私の夢はバンドマンとして成功することでした。

きっかけは中学3年生の秋、いとこが使わなくなったドラムセットが突然家に来たこと。叩いてみると耳が爆音に包まれ、体に振動が伝わり、何とも言えない非日常感が心地よくて、すぐ夢中になりました。

高校、大学はおぢばの学校に進み、バンドができる部活に入部。大学2年生の頃には、大阪を拠点に全国で活動するバンドにも加入しました。

大学生活も終わりが近づき、教会長である父に卒業後の進路相談をした時のことです。

後継者の私は、会長を継ぐまではバンドを続けたい気持ちを伝えました。すると父は「1年間は続けてええよ」との返事でした。

私はそれを了解しました。けれども本心では「1年で結果を出して、バンドを続けられるように父を説得しよう」と思っていました。自分のやりたいことしか考えていなかったのです。

転機

1年間の猶予を頂いた私は、天理から大阪へ引っ越して、アルバイトで生計を立てつつ、バンドを続けました。ミュージックビデオを公開し、CDを全国発売し、ツアーも行い、売れるために必死でした。

しかし結果はボロボロで、バンドの収入だけで生活するには程遠いものでした。そして、父との約束通りバンドを辞め、翌年から本部勤務をさせていただくことが決まったのです。

勤務先は、学生担当委員会Happist編集部。学生会活動には消極的だった私。意外な配属先でした。しかし、退職時には心からこの部署で良かったと思ったのです。

編集部のある先輩は、Happistを作る上での判断基準が、いつも「学生が喜ぶかどうか」でした。そしてご用を通して出会ったのは、人のために心を使う人ばかりでした。そんな方々のおかげで心の向きが、自分から周囲に向き始めたように思います。

いつも心の底にある記憶

高校3年生の時、自教会の前会長である祖父が出直しました。

葬儀の前には多くの方が最期のお別れに来られました。その中には、横たわる祖父に身を寄せ、泣き崩れ、別れを惜しむ方がいるのです。

私にはその光景が衝撃で、「一体祖父は、どれだけ人だすけのために心を使ってきたんだろう」と思いました。そこで初めて、教会長になりたいと思ったのです。

当時の私はバンドをやりたかった。教会長にもなりたかった。

けれど今は、自分の歩むべき道が見えてきたように思います。本部勤務という神様のお引き寄せに心から感謝しています。

そして、揺れ動く心をつなぎ留めてくれた父にも。

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