海外での宗教観
かれこれ20年程前になるが、私は20代の時に4年間ブラジルで過ごした。日本とは文化や風習が大きく異なる地球の裏側での経験は、自身の生き方や考え方に大きなプラスの変化をもたらしてくれた。
皆さんも学生の内に、どの国でも良いので文化の違う所に飛び込んでみてほしい。異なる文化や価値観に触れるということは将来の自分に対する投資に必ずなる。
ブラジルの生活で私が常々感じていたのは「信仰を持つ」ということが身近であるということ。カトリック教徒が多い国だが、それ以外の宗教を信仰している人も多く、自分の信仰について熱く語ってくる人もいた。中には家族全員が異なる宗教を信仰している家庭もあり、興味を持つと同時に信仰を持つことが文化に根付いていると感じた。
以前、ネットニュースを見ていると、アメリカの宗教観の調査において無宗教の人がカトリック教徒の数を統計を取り始めてから初めて上回ったと報じられていた。無宗教とは特定の信仰を持たないことだ。あれから20年経って、ブラジルでもアメリカのように無宗教の人が増えているのかもしれない。

信仰を持つことは
私たちが住む日本も無宗教の人の割合が多い国の一つだ。最近ではハロウィンの時に仮装をしながら路上で大騒ぎする者が増えている。中には車を押し倒す者まで現れ、イベントが終わった後は街中ゴミだらけ。そこに信仰心がないことは明白だ。
毎日のように報道される悲しい事件や許せない事件、闇バイトなどのニュースを見るたびに、信仰に基づく心の定規を持たない人が増えているように感じる。
しかし、私たちは親々の信仰、教会の方々や友人から、陽気ぐらし世界へ向かうための教えをつないでもらったからこそ心に教えの定規を持たせていただいている。人をたすけるためには、人に喜んでもらうためにはどうすればいいのかということを教えてもらい、自然と考えている。
信仰を持つことは日本社会の中ではマイノリティかもしれないが、信仰を持っている人は社会のどの分野においても本当に必要とされる。いつの時代でも活躍する人材は「人をたすけたい、誰かに貢献したい」という志を持っている人だ。
皆さんは学生会活動を通して、仲間と共に教えを学び、実践することで、お道の中においても、社会に出ても大活躍することは間違いないだろう。「信仰を持つ」ことはありがたい。自らに教えをつないでくださった道の先輩方に感謝しよう。