中島啓和「どのような環境にあっても」

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どのような環境にあっても

もう20年ほど前になるが、コロンビア出張所で2年間、ご用をさせていただいたことがあった。

所長先生をはじめ、出張所内で生活する者は日本人ばかりであったが、当時からコロンビアでは現地の信者さんが多く、ご用の上ではコロンビアの母国語であるスペイン語を話す機会が非常に多かった。

私のスペイン語の語学力というと、渡航前の1年間、「おやさと」の学校にてスペイン語を勉強をしただけで、お世辞にも上手と言える程ではなかった。身ぶり手ぶりを交えて一生懸命こちらの意思を伝えたり、相手の話を理解しようとするものの、伝え間違いや聞き間違い、勘違いは日常茶飯事で、物事が予定通り進まないことは珍しくなかった。

しかし、自分の語学力の無さから「自分が聞き間違えたから」と自分に落ち度があったと捉え、自然と低い心、謙虚な気持ちになって毎日を過ごしていた。言葉による不便さはあったものの、コロンビアでの2年間はとても楽しく、いつの日か願いがかなうならば、再び訪れてみたいと思っている。

2年間のご用を終え帰国した私は、日本での便利な生活を満喫していたが、コロンビアで過ごしていた時と比べ、よくイライラすることに気付いた。

住み慣れた日本での生活、文化や言葉の違いなど全く感じない日本人同士のやりとり。こちらの意思や相手の思いを誤解なく伝え合えているはずである。

しかし、ひとたび聞き間違えや勘違いが起こると、「自分はこう言ったはずだ」「なぜ、言った通りにできないの?」と相手を責める心や言葉遣いをしていたように思う。コロンビアに居た時とは真逆の心遣いをしていることに気付いた。結果、楽しい毎日を過ごせたのはコロンビアでの2年間であった。

人は環境の違いによって喜べたり、そうでなかったりもする。しかし与えられた環境によってすべてが決まるのではなく、どのような心遣いをするかによって、喜べる楽しい環境に変えることが出来る。これからもどのような環境であっても、低い心、謙虚な気持ちを忘れず通っていきたい。

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