この世の始まり

「Happist」読者の学生の皆さん、こんにちは。

皆さんの中には、親や祖父母が天理教を信仰していたから天理教を信仰している、学生会行事などに参加しているという人が多くいるのではないでしょうか。かく言う私も、曾々祖父が天理教の教えに感銘を受けて入信し、その後、子、孫、ひ孫と代々信仰してきて、私の代で5代目の信仰になります。

そのように、いわゆる代を重ねた信仰者の中には、思春期が始まる小学校高学年の頃から「何でうちは天理教なんだろう……」という思いが出始め、次第に天理教の教えを聞いても、「なんで?」という疑問が沸いたり、「本当なのかな?」という思いを心に積もらせている人も、案外多いのではないでしょうか。

私も、もともとの性格が素直ではなく、つじつまが合わないと感じることや理解できないことがあると、いちいち引っ掛かってしまい、お道の教えの〝?〟と出合うたびに、自分なりに納得しようとあれこれ考えてきました。

もちろん、今でも分からないこと、知らないことだらけですし、明確な答えが一生見つからないこともあると思います。しかも、私は全くもって不勉強。そんな私なのに、このたび「Happist」の教理コーナーを担当するよう依頼されてしまいました。力不足は重々承知の上で、私なりの教理コーナーにしかなりませんが、お道の教えについて、しばらく学生の皆さんと一緒に考える機会にさせていただきたいと思います。

皆さんは「天理教」をどのように受け止めているでしょうか。

このお道は、天保9(1838)年、10月26日に、教祖・中山みき様が「月日のやしろ」にお定まりくださり、親神様の教えを人間に伝えられるよになった時から始まりました。

それからおよそ185年が経ち、現在は親神様・教祖のご守護と先人たちの努力によって、日本においては新興宗教といわれる宗教の中では大きな教団になり、少なからず海外へも教えは広まっています。

しかし、人間の社会的な見方からすれば、天理教は数ある宗教の中の一つに過ぎず、しかも、世界的に見れば決して大きくはなく、あまり知られていません。社会の中で暮らしていれば、ともすれば、そういう客観的な視点でのみ、天理教を見てしまうかもしれません。でも、ちょっと視点を変えて天理教を見てみたいと思います。

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