「Happist」読者の学生の皆さん、こんにちは。
前回に続いて、今回も魂について考えたいと思います。
前回、「おふでさき」「みかぐらうた」「おさしづ」の三原典には、ほとんど魂という言葉が出てこないことは伝えましたが、実は「こふき話」には魂についてのお話が幾つか出てきます。
「こふき話」とは、教祖がおふでさきの執筆を終えられる少し前の明治13、14年頃から、取次と呼ばれた側近の人々に対して話されたまとまったお話(元初まりの話が中心)です。そして、
こふきを作れ。
『稿本天理教教祖伝』第7章「ふしから芽が出る」 157頁
との教祖の仰せに従い、そのお話を側近の方々がそれぞれにまとめたものを「こふき本」といいます。
どの「こふき本」も教祖がこれでいいと言われたものはなかったそうですが、「こふき話」は、おふでさきを書き終えられて以降、教祖がお話しくだされた、原典に次ぐ貴重なお話であることに変わりはありません。この「こふき本」の中では、魂について次のように述べられています。
にんげんのたまひなるのハとろうみにいたるどふじよこのこゝろみて
『こふきの研究』和歌體十四年本 山澤本 62頁
ソレヨリモ、人間ノタマヒナルハドジヨウナリ。
『こふきの研究』説話體十四年本 喜多本 91頁
すなわち、「こふき話」では、人間の魂は「どじょう」であると教えられます。
この「どじょう」について、おふでさきには次のように記されています。
このよふのはぢまりだしハとろのうみ
そのなかよりもどちよばかりや
『おふでさき』第4号 122
このどぢよなにの事やとをもている
これにんけんのたねであるそや
『おふでさき』第4号 123
このものを神がひきあけくてしもて
だん/\しゆごふにんけんとなし
『おふでさき』第4号 124
すなわち、元初まりにおいて、「泥うみ」の中にたくさんいた「どじょう」が人間の種であり、それらを親神様が引き上げて「食うて」しまわれて、人間となる守護をくだされたのです。
つまり、「こふき本」とおふでさきからすると、「人間の魂」=「どじょう」=「人間の種」ということです。そして、親神様は、この「どじょう」をそのまま人間にしたのではなく、一度「食うて」親神様の中に取り込んでから、人間に育ててくださったのですから、私たち人間の魂には、親神様の要素を頂戴していると考えることができると思います。
これは、私たち人間の魂には、親神様の思召に沿い切り、陽気ぐらしができる素質を元初まりの時に頂いているということだと思います。特に、人をたすける心や、親となり、親心を持てることなど、親神様のお心と同じ要素を頂いているのです。
このことが、私たち人間はもともと陽気ぐらしができるように造られ、親神様のご守護のまにまに陽気ぐらしへと導かれていく、いわゆる「陽気ぐらしの元のいんねん」にもつながっていくと考えられます。