「胸の掃除」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
心にたまったいろんな埃や泥をきれいに掃除して、澄み切った心になることですね。
心がきれいになると、さっぱりして気持ちが良い。
心が明るくなって、楽しい気持ちになってくる。
周りの人たちと心が通い合い、気持ちの良い付き合いができる。
勉強や仕事もはかどる。
また、いろいろなことに気付けるようになる。
そして、本当の真実がだんだん見えてくる。
では、どのようにして、この胸を掃除し、きれいな心になることができるのでしょうか。
「おふでさき」に、
せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ
『おふでさき』 3号 52
神がほふけやしかとみでいよ
とあるように、親神様(おやがみさま)は、神が「ほうき」となって胸の掃除をする、と仰っています。
しかし、ほうきが一人で勝手に動いて掃除してくれるわけではない。
人間がそれを持って掃くから掃除ができる。
また、ほうきがなければ掃除はできない。
神様と人間の、心を一つに合わせた協同作業がなければ掃除はできないのです。
つまり、しっかり神様を拝み、どんなときにも神様の教えを守り、実行させていただくことによって、神様が胸の掃除をしてくださるということです。
ですから、神様の教えはどれ一つ取り上げても、それを実行させていただけば、神様が胸の掃除をしてくださるわけですが、今回はまず、その中でも、誰でもやる気さえあればできて、しかも目覚ましい効果がある方法をご紹介しましょう。
実際にどこかの掃除をする
それは、実際にどこかの掃除をするということです。
例えば、神殿掃除、トイレ掃除、道路のゴミ拾い、などなど。
大リーグのシアトル・マリナーズで活躍されていたイチロー選手は、掃除が趣味だそうです。
「掃除をすると、ここがきれいになる」と、胸を指しながら言っていました。
この実際にどこかの掃除をするということが、胸の掃除に非常に役に立つ方法だということは、おふでさきにもお記しくだされています。
それは、
しかときけ三六二五のくれやいに
同 3号 64
むねのそふぢを神がするぞや
というお歌です。
何だか意味不明の数字が並んでいるようですが、三六というのは、立教後36年、すなわちこのお歌が書かれた明治7年を指します。二五というのは、25日。
くれやいは暮れ合い、すなわち夕暮れ時のことで、このお歌は、明治7年のある月の25日の夕方に、おやしきへやって来た人が周辺の掃除をされ、その掃除をしてくれた人の胸を、神が掃除してやろう、というお歌です。(おふでさき注釈参照)
つまり、神様のお住まい周辺の掃除をした人の胸を、神が掃除してやろう、というお歌ですが、この世は神の身体と仰せられるように、この世界はどこも親神様のお身体なのですから、どこを掃除させてもらっても、それは親神様のお身体をきれいにさせていただくことになる。
ですから、どこを掃除させてもらっても、その人の胸を親神様が掃除してくださるわけです。
トイレ掃除
この掃除の中でも、特に私の思い入れが深いのは、トイレ掃除です。
そのきっかけは、東京学生会時代からの友人と、二人でお酒を飲んでいる時に、彼が聞かせてくれた話でした。
トイレ掃除の素晴らしさを、とうとうと熱く語る彼の話を聞いて、「へえー、トイレ掃除って、そんなにすごいものなのか」と思いました。
そして手始めに、自分の家のトイレを、彼から聞いたやり方に自分なりに手を加えた方法で掃除してみました。
まず普通の掃除をした後、ガラススクレーパー(刃幅12ミリ)で、あらかたの汚れを削り落としてから、1500番程度の細かい耐水サンドペーパーでひたすら磨くのです。
すると、引っ越した時から便器に固くこびりついて、取れないとあきらめていた頑固な汚れも、見事に落ちて真っ白になり、まるで新品のようなトイレによみがえったのです。
気が付くと、あっという間に3時間以上の時がたっていました。
やり終えた時の何とも言えないすがすがしさ!
どうしようもないと思い込んでいた頑固な汚れがものの見事に落ちた時、トイレがきれいになるばかりでなく、自分の心に長年こびりついて「これはどうしようもない、自分はこんな人間だ、あきらめてくれ」と思っていた、積もり積もった心の汚れの塊までもが、音を立ててはがれ落ちていくような快感を覚えました。
その快感が忘れられず、今度はあっちこっちのトイレに出かけて行ったり、教えている本科実践課程の生徒たちと一緒にトイレ掃除をしたりしました。
この、一つの便器を2時間ほどかけて徹底的に磨き上げる、というトイレ掃除のやり方を自ら始められ、提唱されたのは、イエローハットという会社の創業者である鍵山秀三郎(かぎやまひでさぶろう)氏です。
このトイレ掃除を経験した小学5年生の女の子の感想文は、とても感動的で、ぜひとも紹介したいと思ったのですが、紙面が足りません。
興味がある方は、鍵山秀三郎著『掃除道』を読んでみてください。
ありがとう! 学生会
私自身、このトイレ掃除によって、運命が開けてきたような気がしますが、この掃除を知るきっかけを与えてくれた友人と出会えたのは、天理教東京学生会でした。
この友人は、学生の間も、また卒業してから後も、いろいろな場面で私の人生を救ってくれた、かけがえのない友人です。
そんな生涯の友人と出会えた素晴らしい学生会に、私は心から感謝しています。
つづく
※『Happist』2012年6月号掲載