「Happist」読者の学生の皆さん、こんにちは。
前回まで2回にわたって「魂」について少し勉強しましたが、今回はお道の教えの中でも大切な「いんねん」について考えたいと思います。
「いんねん」とは、元は「因縁果」といわれる仏教用語で、直接的原因の「因」と間接的条件の「縁」とが合わさり、さまざまな結果の「果」が起こってくるという、いわゆる因果応報のことを意味します。
天理教で教えられるいんねんも、
善き事をすれば善き理が添うて現れ、悪しき事をすれば悪しき理が添うて現れる。
『天理教教典』第7章「かしもの・かりもの」 71頁
と、仏教でいう因縁に近いものですが、大きな違いはその因縁を良い方に変えていくことと、陽気ぐらしへと向かう「元のいんねん」を教えられていることです。
ですから、天理教で教えられる「いんねん」は大きく分けて二つあります。
一つは、人間が陽気ぐらしをするのを見て、共に楽しみたいとの親神様の思召によって、陽気ぐらしへと導いてくださる「元のいんねん」です。これは全ての人間が等しく与えられている「いんねん」です。
もう一つが、それぞれの個人や家族などが持っている個々の「いんねん」です。
時折、「いんねんの話は暗いから嫌だ」とか「いんねんさえ説かなければお道の教えもいいのに」などの声を聞きますが、それは伝え方や悟り方、捉え方が暗くなってしまっていることが一つの要因になっているように感じます。
そもそもいんねんの教えも、親神様の「たすけてやりたい」との親心から教えられる教えですので、私たちにとって悪いことがあるはずがありません。それに、たとえ嫌でも、受け入れたくなくても、それぞれにいんねんは持っているのですから、自分自身でいんねんを悟り、いんねんを自覚して、その上で信仰によってだんだんといんねんを良くしていただくことが肝心なのです。
魂について勉強した際に述べましたが、人は出直して身体をお返ししても、「魂は生き通し」で親神様に抱かれて、また時期が来れば新しい身体をお借りして、この世に生まれ変わってくると教えられます。
ですから、どんな人にも前生、前々生と今世以前に生きてきた一生が幾つもあるということです。そして魂は同じでも、出直すたびに当然前生とは別の人間として、赤ちゃんになって生まれてきますので、ある意味人生をリセットしたような形になります。
しかし、全てが帳消しにされるのではなく、人生で積み重ねてきた良いことも悪いことも、魂に記録され、良いいんねん、悪いいんねんとなって、来生に引き継がれていくということなのです。