差し伸べられた仲間の手
そういえば高校時代、クラスの卒業文集に掲載されるアンケートの一つ「バリ天=バリバリ天理教の略。すっごい天理教好きな人」という項目に、私は堂々の第一位に選ばれた記憶があります。したがって、私には信仰心に篤くなる資質があり、非常に真面目な性格であると自負しています。
そんな私は天理大学へ進学し、毎日の生活を真面目に遊びながら過ごしてしまいました。その結果、周りに心配をかけることになるのですが、そこで手を差し伸べてくれたのがバイト仲間や幼なじみでした。大学の友人でもあった彼らは、私をようぼく会(天理教信仰サークル)や、おやさと学生会(現 天理教学生会管内部)の活動へ誘ってくれました。
それから私自身、神殿や教祖殿に足を運ぶようになったり、信仰について仲間と語り合う時間を持つようになりました。今思い返すと、その頃から授業にも次第に通い始め、大学も無事に卒業することができました。

過去からつながるたすけあい
学生会活動の中で、特に印象に残っている出来事があります。各教区学生会活動の進展を図るための講習会に参加したときのことです。当時のおやさと学生会は、天理が拠点とあって天理教学生会のサポートをする活動も行っていたように思います。
この講習会では、参加者の中に雰囲気に飲み込まれて緊張している参加者を後方支援する役割を担っていて、その中で、ある教区学生会の参加者たちに出会いました。
彼らは、高校生だけで参加しており、発言どころか内容を理解するのも難しかったのではないかと思います。私は仲間とともに彼らのテーブルにつき、その年のテーマだったり、議題だったり、話し合われている内容を丁寧に説明したことを覚えています。
彼らは非常に喜んでくれて、最後には初対面にもかかわらず、私たちのことを「おにいちゃん」「おねえちゃん」と呼んでくれるまでになったのです。
この出来事がいつまでも印象に残っていたのは、人の役に立った実感が得られたからだと思います。その後、彼らの教区の学生会総会に来賓として招待をいただいたことも、良い思い出です。
おぢばは「よろづたすけの源泉」とお教えいただきます。時にたすけられ、時に人の役に立ちたいと願う私は、たすけられる経験があったからこそ、人の役に立ちたいとの想いにも至れたのではないかと振り返っています。
「互い立て合いたすけあい」の教えが身に染みるこのおぢばで、これからも、仲間にたすけられた経験を活かして人だすけを実践していきたいと思います。

