出水喜己「おかえりなさい」

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安心できる場所

6年前の3月、当時の私は本部勤務をしており、ある日の休憩時間に母から一本の電話がありました。

「おばあちゃんが危ない。すぐに帰って来て」

体調が悪いとは聞いていたものの、いざその時が来ると、動揺と戸惑いで冷静さを失っていました。私はすぐに新幹線に乗り、福岡県北九州市にある病院へ向かいました。

そこには、痩せ細り、脚はむくみ、全力疾走直後のような心拍数が続き、とてもつらそうな祖母の姿がありました。私がおぢばへ旅立つときに、元気な姿で見送ってくれた祖母の面影はなく、涙が止まらず、ただ立ち尽くすばかりでした。

数日間の危篤状態が続き、親族から「おぢばでもう一度お願いして来てほしい」と言われ、一度勤務に戻ることになりました。夜中の12時を回った頃、神殿に到着し、聞こえてきたのは「おかえりなさい」という言葉でした。いつしか聞き慣れてしまっていましたが、そのときは疲れ切った私の心に深く響きました。

おぢばは、泣く所やないで。ここは喜ぶ所や。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』105「ここは喜ぶ所」

この家へやって来る者に、喜ばさずには一人もかえされん。親のたあには、世界中の人間は皆子供である。

『稿本天理教教祖伝』第三章「みちすがら」25ページ

という教祖のお言葉が、スッと心に入ってきたのです。

そして「よう帰ってきたなぁ。もう大丈夫やで」と言われたように感じました。温かく迎えてくれる場所や存在があることは、決して当たり前ではありません。子供が親を思う以上に、教祖は大きな親心で私たちを包んでくださっています。その温もりを感じながらおつとめをさせていただいた時、優しく温かい感覚に包まれたことを今でも覚えています。

温かく迎えてくれる場所

その後、母から再び電話があり病院に着いた時、祖母はすでに出直していました。しかし、おぢばに帰ってからの間、不思議なことに穏やかな状態が続いたそうです。

危篤と言われてから約1週間、祖母は東京や大阪、奈良、佐賀など遠方の親族や信者さんの手を一人も欠かすことなく握り返し、来るたびに目を開けて確認し、そして最後は静かに出直し、86年の生涯を終えました。今までの苦しそうな顔はどこにいったのか、優しく気持ちよさそうに眠っているようでした。

この鮮やかな出直しを通して、親神様・教祖の大きなご守護を感じました。目に見えるたすかりでなくとも、確かなご守護を頂けたのだと、私は信じています。

苦しいときや悲しいとき、自分ではどうしようもなくなったとき、おぢばへ帰らせていただきましょう。いつでも、どんなときでも「おかえりなさい」と声をかけていただける。そして、ご存命の教祖が温かく迎えてくださり、どんな話も聞いてくださる。それが人類の故郷おぢばなのです。

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