第1回 間違いのないように

昔、私が皆さんと同じ年代だったころ、「青春時代」という歌がはやりました。

青春時代が夢なんて
あとからほのぼの想うもの
青春時代の真ん中は
道に迷っているばかり

という歌を、その通りだ、と思いながら聞いていました。

最近では、アンジェラ・アキさんの「手紙~拝啓 十五の君へ~」という歌がはやりましたね。

今 負けそうで 泣きそうで
消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じ歩けばいいの?
ひとつしかないこの胸が
何度もばらばらに割れて
苦しい中で今を生きている
今を生きている

本当に、青春時代というものは、決して楽しいばかりの時代じゃないと思います。
楽しいこともあるけれど、苦しいこと、泣きたくなることもいっぱいある。

それでも真剣に人生について悩み、何かを求めている。
まだ自分が何者なのか、よく分からない中で、自分にとって本当のもの、かけがえのない一番大切なものを求めて、心がうずいている。

青春ってそんな時代じゃないでしょうか。
そんなとき、一体誰の言葉を信じ、歩けばいいの?

もくじ

おやさまが若者におっしゃったこと

〈Happist〉を読んでくださっている皆さんに、教理について何か書いて、と言われた時に、「おやさまは、皆さんと同じような年代の若者にどんな話をされたのだろうか?」ということが、まず心に浮かびました。

そこで、『稿本天理教教祖伝逸話篇』の中から、特に、十代後半、二十代前半ぐらいの若者にされた逸話を選び出して、そこでおやさまがおっしゃっていることを、分かりやすくお伝えできたら、と考えました。

明治十五年七月、大阪在住の小松駒吉は、導いてもらった泉田藤吉に連れられて、お礼詣りに、初めておぢばへ帰らせて頂いた。コレラの身上をお救け頂いて入信してから、間のない頃である。
教祖にお目通りさせて頂くと、教祖は、お手ずからお守りを下され、つづいて、次の如く有難いお言葉を下された。
「大阪のような繁華な所から、よう、このような草深い所へ来られた。年は十八、未だ若い。間違いのないように通りなさい。間違いさえなければ、末は何程結構になるや知れないで。」
と。駒吉は、このお言葉を自分の一生の守り言葉として、しっかり守って通ったのである。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』 103 間違いのないように

小松駒吉さんは、このおやさまのお言葉を一筋に守って、たすけていただいたご恩報じに励み、その真実の心から現在の御津大教会が生まれました。

この「間違いのないように通れば、先には必ず結構を見せていただける」ということは、言うはやすく、実に当たり前のことのように思えるかもしれませんが、実際にそう通ることは、そんなに簡単なことではないと思います。

実際、駒吉さんも、この「間違いのないように通りなさい」というおやさまのお言葉の意味するところが、初めはさっぱり分からなかった、と述懐されています。

間違いのない地図

では、「間違いのないように通りなさい」ということは、本当のところ、どういうことなのでしょうか。
どうすれば、間違いのない道を通ることができるのでしょうか。

実際の人生においては、こちらが間違いのない道ですよ、という標識が立っているわけではありません。

そうした人生行路の中で、間違いのない道を歩いていくためには、まず地図が必要です。
一寸先も分からない人間の判断で闇雲に歩いていては、一体どこに迷い込んでしまうやら、さっぱり分かりません。

自分自身で、間違いのない地図を見ながら、その地図と、実際の目の前の景色がどうなっているのかをしっかり見比べながら、歩く道を選択していくのです。

この地図に当たるのが、おやさまの教え、おやさまのお「ひながた」です。
おやさまの教えは、人間世界をお創りくだされ、今も世の中のすべてのものを守り、育てられている親神様(おやがみさま)の教えですから、これほど確かなものはありません。
そのおやさまの教えと、目の前の現実をしっかり見比べながら、自分の心で自分の道を選択していくのです。

ですから、判断に迷ったとき、道を間違えたかなと思うときは、まずこの地図をしっかり見ることが何より大切なことです。

そして、地図を見るのと同じぐらい大事なことは、目の前の景色がどうなっているのかがはっきり見えるということです。
そのためには目が曇っていてはいけません。
心の目が曇っていては、目の前にどんな景色が広がっているか、どういう道があるのかも分からないのです。

だから、胸の掃除が大切です。胸の掃除をしたら、いろいろなことに気付けるようになり、周りのことがだんだん見えるようになってくるのです。

実はこの地図には、胸の掃除をしなさいよ、という注意書きも、どうしたら胸の掃除ができるのかということも、ちゃんと書いてあるのです。
ありがたいですね。
至れり尽くせりの親心ですね。

では、どうすれば胸の掃除ができるのでしょうか。
自分の心に「ほこり」があることは分かっても、自分の心を目の前に取り出して、ふきんでそれをふくわけにもいきませんね。
一体どうしたら、この自分の胸が掃除できるのでしょうか。
この連載の中で、またそのことに触れていきたいと思います。

つづく

※『Happist』2012年4月号掲載

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