青木啓一郎「価値観・オブ・ブラックコーヒー」

『突然ですが皆さん、コーヒーは……お好きですか?』

私はというと、ブラックコーヒーが大好きだ。毎日3杯以上は飲む。決して格好つけているわけではない。本当だ。

しかし、私がブラックコーヒーを飲むようになったのは、いや、飲めるようになったのは、実はつい最近のことである。それまではあまりコーヒーは飲まず、飲むとしてもミルクと砂糖をたっぷり入れていた。

そんな私に何があったのか。
それは妻の一言がきっかけだった。

妻はブラックコーヒーが好きで毎日のように飲んでいた。ある朝、いつものようにコーヒーを飲む妻に、ふと「よくそんな甘くないコーヒー飲めるなぁ」と言うと、妻は一言。

「麦茶が甘いと変じゃない? それと同じで私にとってコーヒーは甘くないものなの」

……まさに目からウロコ! いや、私にとっては目から秦基博ぐらいの衝撃だった。

「なるほど! そういう考え方があるのか」

コーヒーを甘くないものだと思ってから、ブラックで飲み始めると、あら不思議、そのおいしさにだんだんハマってしまい、今に至る。

何が言いたいのかというと、私があの時「そんなわけあるかい! コーヒーは甘い飲み物だろ!」と妻の言葉を突っぱねていたら、私はコーヒーの真のおいしさに、いまだに気付けていなかったということだ。

これはほんのささいなことだが、自分と人との考え方や感じ方の違いを感じることは、私たちが普段生活している中でよくあることではないだろうか。テレビでよく聞く「価値観の違い」というやつである。

私たちは当たり前だが、みんなそれぞれ違う。

をやこでもふう/\のなかもきよたいも
みなめへ/\に心ちがうで 

『おふでさき』5号8

とお教えいただくように、親子、夫婦、きょうだい、たとえ双子であっても、心は違うのである。

だから、起こってくる出来事に対して感じ方や考え方は人ぞれぞれだし、この文章を読んでいても、「おいおい長いなぁ」と感じている人もいれば、「私もコーヒー飲みたいなぁ」と思っている人もいる。

自分が正しい。自分の意見が絶対だと思っていたら、やっぱり人とはぶつかってしまう。

自分と違う価値観に出合った時「あぁこんな考え方もあるんだ」「こんな感じ方もできるんだ」と、まず受け入れて、認めることができれば、自分の中で新しい発見があるかもしれないし、きっと人にも優しくできるはず。

世界は、この葡萄(ぶどう)のようになあ、皆、丸い心で、つながり合うて行くのやで

『稿本天理教教祖伝逸話篇』135「皆丸い心で」より抜粋

と教祖が仰ったように、他人を受け入れられる、優しく、丸い心で、人とつながっていたいなぁ、と本当にそう思う。

もくじ

アメリカに留学していた時のこと

最後に、私が衝撃を受けた価値観の違いをもう一つ紹介しよう。

学生時代、アメリカに留学していた時のこと。日本の焼肉が世界で一番うまい食べ物だと思っていた私は、サウジアラビア人の友人を、アメリカでは珍しい日本の焼肉屋に連れて行った。

美味しそうなカルビを注文して、一切れ食べた彼に「これが日本の焼肉だ! どうだ! うまいだろう?」と私が自慢げに言うと、彼は一言。

「……ケチャップある?」

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